2012年05月18日

幸せの尺度



自分を幸せではないと感じている人が、中国の貧しい人たちでは増えているそうな。

幸せの尺度が変わったのだな。
昔は何もないのが当たり前。ところがいまは、あれも欲しいこれも欲しい。でも買えないから不幸だとなるわけだ。
携帯電話を知らない時代なら、携帯をもっていないことが当たり前。そんなことは幸せか不幸せかの基準にすらならなかった。でも、携帯が普及してしまうと、持てないことが不幸になる。


もう一度、人間に足わせの尺度と言うものを考え直すべきなんだろうな。
いろんなところで、しわ寄せがきている気がする。

昔の人は携帯もテレビもなかったからかわいそうなんていう小学生と同じだ。大きなお世話だ。ない時代にそれは幸せの尺度とはならない。というか、今の子供たちは勝手に外で遊びまくれなくてかわいそうと、私たちが言うのと同じ。

それと同じことが江戸時代にも言えるな。
身分制度があってかわいそう・・・だれもそんなこと思ってないって。
百姓は搾取されていてかわいそう・・・ほんとうにそうなら日本は滅びてないか?
贅沢出来なかったんでしょ・・・だったらなんで贅沢禁止令がでるの? 贅沢してるからでしょ。
不幸な時代だったんでしょ・・・今の日本の基礎が出来のは、江戸時代・名物も・名勝も。
きっと、どんな時代でも人は笑って生きている。

私たちは成長を続けなければならないと不幸なんて考え方の方がおかしくないか。
金もうけ至上主義の方がおかしくないか。

わけのわかんない政治家を全部、首にして、名君と呼ばれるような殿様がいれば、議会制江戸幕府なんてものがあってもいいとさえ思う。期間限定でも。震災復興までの6年間有効なんて。
ただ、名君かどうかは先に分からないというのが、問題だけど。(*^_^*)


posted by まっちゃん at 14:54| 福井 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月10日

バイオ、風力と、中国は次のエネルギー戦略を模索しているのか



新興国の風力発電に対する伸びは中国が一番だそうな。そして、バイオ燃料。広大な土地を利用してバイオ燃料を作れば、次のエネルギーを自国で生産出来て、売ることが出来る。そう考えているのではないかと思えてしまう。
そうすれば、第2の中東のように世界経済を牛耳ることもできるのではないかということなのだろうか。

それは正しい選択のような気もする。

一人っ子政策の影響による、高齢化社会。生産力の低下。中国人ですら中国製品を買わず高品質が好まれるようになってきていると言われているし、このままいくと、世界の工場ではなく、ものすごく高い物を買うわけではないが、世界が物を売るのに適した国になりそうな中国。一時の勢いはなくなったとしても、大きなマーケットとして世界に必要な国になるのだろうという感じがしているのだが、バイオ燃料を生産し、エネルギーを輸出できるようになれば、また、世界経済の中でも立場は強くなるのだろうな。そういう感じがする。
世界が望むのは、原発ではなく、単純な動力エネルギーに代わっていくような気がする。巨大な作物を作る研究なんかもすでに盛んに行われているのだし、そういうものを使えばバイオ燃料を安く作っていけるようになるのかもしれない。

それに比べて、日本は、いつまで原発にお金を使い、もたもたしているのだろう。
とっとと見切りをつけて、つぎのエネルギー戦略に舵を切っていくべきなんじゃないだろうか。


posted by まっちゃん at 14:22| 福井 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原子力にばっかりお金使わずに、こういうものの研究をすべきなんだよ



実用レベルではないという日本の風力発電。じゃ、実用レベルにする研究をしましたかと問いたい。1つ壊れれば電力会社も国の経済もひっくり返ってしまうような高リスクの原発や、関連事業にお金を使うなら、もっときちんと再生可能エネルギーの実用化に向けて研究すべきだったんじゃないかと思う。原発なんか、使えば使うほどガラスのようにもろくなっていくだけなんだから。風力なら、壊れても人が二度と住めなくなるリスクなんてないしね。

風力発電なら、もっと小型で発電効率が良くならないかとか。実はそういう研究をやっている人もいるんだよね。でも、実用化に至らないというのは、それを誰もサポートして実用化に結び付けていかない。(やっているのかもしれないけれど)もっと、電力会社もそういう研究に目を向けるべきなんだろうな。
太陽光パネルばっかりに目がいくけれど、日本の資源でパネルは作れるのか? ほとんど使う資材は中国や中東から来ていないか? でも、学者は日本にある資源でもっと効率のいいパネルを作れるような研究をしている。
そういうところにお金を落とせば、将来、世界を相手に商売が出来るのではないのか。

原発立地地区は、廃炉にする技術を学べばいい。そう簡単なことではないのだ。時間もかかる。時間がかかるということは、他に地域を潤すなにかが出来るのではないのか。
大抵田舎にあるんだから、メガソーラに風力発電などの研究施設を作り、生産拠点なども優先して儲けることが出来るように陳情していけばいいんじゃないのか。はっきり言って、原発が来るより、人が多くなる方が地域は発展すると思うよ。

posted by まっちゃん at 14:02| 福井 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月09日

未来の車? グーグルの自律走行車、米ネバダ州で公道運転に「青信号」



メリットとすれば、移動手段としては最適。事故も渋滞も起こりにくくなるのかもしれない。車に免許が必要であり、乗る人はいらないという感じになるのかな。ただの私的なパスみたいなものか。昔、自分の小説にも書いたことがあるのだけれど、警察車両は自立運転のキャンセラーが付いていたり、違法改造でキャンセラーをつけたりとかね。そんなことになるのかも。
だって運転の楽しさを味わいたい人には、いらないもの。
運転にはただ、目的地に着けばいいというものと、運転自体が目的なものと二通りある。その意味からいえば自律走行はただ移動手段となってしまうかも。でも、それは味けないという気もするのだが。だから未来の車かと言えば、実は違うのではないかという気もする。

自律走行よりも、スバルのような追突防止機能があれば、ほんやりしていても子どもの列に突っ込むというような悲劇は起こらないかもしれない。もちろん、自律走行ならそんなことは最初から起こらないのかもしれないけれど。こういうのを全ての車につけてほしい。人と、物を判断してスピードをコントロールする機能。
現実にあるのだから、もっとメーカー同士で協力して事故をなくす車を開発していく方が望ましいのではないか。
あと、バックすると自動的にmainモニターにうしろが映し出される。現在もいろんな車についているけれど、義務にしたっていい。子どもの事故は減るはずだ。
同時に、自動車の角に人がいると警告音が鳴るようにセンサーを付けるとか。

また、大型トラックの後ろには、トラックの運転席から見た前の風景を映し出すモニターをつけるとかしてほしい。信号の変わり目が分かりにくいのだ。

自立運転といわれても、それがいいものかどうかよくわからないなと思う。まず、それより先にすべきことをしてほしい気がする。


posted by まっちゃん at 09:33| 福井 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月06日

祝うことではないかもしれない。それは一区切りなのだ。



原発はなくなったわけではない。動いているのがなくなっただけで、国民は、危険にさらされていることに違いはない。このことを肝にめいじたい。今まで反原発の主張に耳を傾けてこなかったために、私たちは少なくともあと300年は放射能廃棄物を埋めた地層を見張らなくてはならないし、(その場所さえ決まっていない)あと、10万年は生物に影響があることを伝えていかなくてはならない。わずか40年程度の発電のために。
原発をリスクマネージメントで考えようという主張もあるが、リスクマネージメントからいえばこれほど割に合わないものはないのではないか。
老朽化した火力発電所の事故が心配だと某大手新聞が書く。でも、原発のリスクはもっと深刻だ。老朽化した原発の心臓部は、何かあったときの緊急停止のときにガラスのように割れる恐れがあるのだ。もし、そうなれば、100キロ圏内はおろか、日本は終わるだろう。火力発電所の事故の比ではない。もう二度と人が住めなくなる土地が生まれるのだ。

CO2が心配だと言う。だがしかし、WWFは温暖化に対し原発はシステム後と不適合だと行っていたのではないか。そして、あれだけ信用ならない政府も、原発がなくても24%の削減が可能だ゛といっているではないか。

もし、電力が足りないなら、なぜ昨年から対策を練らなかったのだろう。政府も、電力会社も。
そして、クリーンエネルギーに舵を切るなら、それの計画をなぜ指示しないのだろう。そして、そのために少しだけ原発を動かしてもいいだろうかとなぜ問わないのだろうか。

今のままでは、なし崩し的に、原発を動かしていくことになりはしないのか。
そして、10年後20年後に、人的な、あるいは経年変化による重大事故が発生し、豊かな国土に人が住めなくなったとき、なぜあの時とめておかなかったのだろうと嘆くことになりはしないだろうか。

ただ、止まっただけで、リスクは依然としてそこにある。
福島原発の4号プールは、いまだになんの解決も出来ていないではないか。

忘れてはならない。
私たちは、負のリスクを今だに背負っていることを・・・


posted by まっちゃん at 21:42| 福井 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月30日

誰だって加害者になる可能性はある。忘れてはいけないこと。



悲惨な自動車事故が続いている。無免許で子供たちを巻き込んだ京都の事故には本当に心が痛んだ。子供をもつ親として、子供が巻き込まれる事故は悲しい。
その後もぼけっとして事故を起こして子供がなくなった事故もあった。
以前にも、助手席に置いたラジカセを触ろうとして、子供の列に突っ込んだ事故もあったのを思い出す。

勘違いしてはいけないことは、事故の直接の原因は「居眠り」であり「よそ見」であり「考え事」ということなのだ。免許を持っていたら事故が防げるのかといえばそうではない。免許を持っていて、充分に睡眠を取っていたとしてても「居眠り」は起こりうるのではないか。高速バスで、静かな車内で、たとえもう独りのドライバーがいたとしても、眠くなったら「居眠り」は起こりうるのではないか。
これは免許をもっていて、日々運転しているドライバーすべてに可能性があることなのだ。
私も過去に、営業車を運転していたときに、赤信号でとまったあと、気が付いたら数百メートルを走っていたなんてこともあった。きちんと青信号になって発進して、運転しているのだが、その間の記憶がはっきりしない。たぶん、眠りかかっていたのだろう。でも、体はいつものように反応して運転したいたということなのだと思う。ぞっとして道端に車を止めて、自動販売機で缶コーヒーを買ったのを覚えている。
田舎だからいいが、車の込み合う都会だったらと思うとぞっとする。下手すれば追突事故くらいは起こしていたかもしれない。

免許を持っていたからきちん運転できると思ってはいけない。免許をと言うのは「運転してもいいですよ」という証にしか過ぎない。あるテレビ番組で、ある人が免許証をかざさなければ車が動かないようにすべきなんてことを言っていたが、免許を持っていたからといって事故が防げないのだから意味がない。
スバルのような追突しないような装置のある車があるのだから、スピードに応じて、ハンドルの動きや車体の傾きを感知し、人や物が前面に来たときに減速し、当たる寸前には止まるような装置のほうが有望ではないのか。そっちのほうがよほど事故防止には効果があると思うのだが。あとは飛び出しに対応して、ホンダがやっているようにいかに人に対する怪我を少なくするかという車のつくりにするかということだ。

ただの厳罰化では意味がない。
まぁ、無免許で事故を起こしたら厳罰というのはわかる。何度も無免許を繰り返すような人は、車に乗る責任を放棄しているわけだ。これには厳罰化もしかたがない。無免許で事故を起こしたり、原付の搭乗者オーバーなどは、厳罰でも仕方ないと思える。
車を貸した人も、きちんと任意保険に入っていたのかが気にかかる。確か、自賠責は無免許でも被害者保護のために3000万円までは出るはずだが、任意保険も無免許でも被害者保護のために保険はおりるようだ。お金は償いにはならないかもしれないが、なにかのたしにはなる。少なくとも、何かの役には立つ。なくなった人は帰らないが。残された人の助けにはなる。

しかし、長引く不況で任意保険にも入らない若い人もいるという。
もし、車を持つ責任というなら、任意保険にくらい加入すべきという気がする。
でなければ、被害者、加害者ともにおもい賠償に苦しんで行くことになるからだ。
そして、スバルがやっているような追突防止装置のようなものの、一般的導入を急いだほうがいいのではないのか。高速バスなど、公共性の高いものに関しては早めに導入してもいい。鉄道にはすでにスピード超過防止がついている。(結構作動しているらしい)
厳罰を処するよりもよほど効果があると思うのだが。








posted by まっちゃん at 11:49| 福井 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月28日

すばらしい。デンマーク、2050年までに全発電を再生可能エネルギーに



現実的にはいろいろな問題もあるでしょうが、こうして全部を再生可能エネルギーに換えていくことを宣言し、実行していくことはすばらしいと思います。
それが、周りの国々をも巻き込み、やがては世界的な動きになっていくことを願います。

いろんな発電にもさまざまな問題があるのだと思います。でも、何百年も土地をあきらめなくてはならない事故にはならないでしょう。
そして、もっともっと研究が進んで行けば、原発を鼻で笑う時代が来るのかもしれません。

デンマークがどう変わっていくのか、気体をこめて注目して行きたいですね。
posted by まっちゃん at 21:05| 福井 | Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月23日

どんな汚染でも、影響は続いていくんだなぁ



Mexico湾の原油流出事故から2年。収束したのかと言えばその影響はまだまだ続いているんですね。もう、収束したとか政府や企業は言っているかも知れないし(知りませんが)私たちも終わったことだと感じていたかもしれませんが、実はまだ影響は色濃く残っているようです。それは時がたってみないとわからないことだったのかもしれないし、たとえ裁判を起こしても影響は限定的だとか、少ないで片付けられてしまうのかもしれません。でも、なによりその影響を実感している人々がいるのは紛れもない事実。原油にしろ、なににしろ。自然を脅かすものはいやですね。
posted by まっちゃん at 21:54| 福井 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本、2050年までに先進国から転落の恐れ 経団連シンクタンク



ふと思うのだが、先進国であり続けなければならない理由とは何だろう? 先進国であれば幸せが保証されるのか? いま、先進国でなくなったとしてもいきなり何もなくなるわけではない。生活は変わらないのではないか。あるいは、労働力不足などによって様々な形は変わるのだろうが、それで経済の姿も変わらないのか? 
さらに、先進国ってなんだ? 国がお金をもっているということか? よくわからん。経済大国2位になった中国にあこがれる人がいるのか? お金持ちになることにあこがれる人はいるだろうけれど、それだけで、幸福になれるのだろうか。
うまいものを食う口は一つしかないし、時間は誰も平等に流れる。
そんなものだ。
願わくば、そこそこうまいものを買うことのできる仕事と、心が安らぎ、充実できる時を過ごすことので゜きる文化、人との交流があれば。とすると、それは先進国でなければできないというほどのことでもないのではないか? どうなんだろう。


posted by まっちゃん at 13:38| 福井 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ふと、思ったこと。

最近、自分のFBのタイムラインを見るとばりばりの「反原発の人」みたいになっているなとふと思った。
いや反原発は反原発で、もう20年以前からそう言っているのだけれど、とりたてて活動なんてしていないし、自慢できることは何もしていない。反原発と言うより、傍観者に近い。

たまたま、「こいつはFBでシェアしておこうかな」とか思うものが、最近は原発関連が多いというだけだ。忘れないようにと備忘録がわりに記事をシェアしていったら、現状みたいになってしまったと。まぁ一応は、他人が見てもいいものかなとか考えてるわけなんだが。

ものすごくくだらないことはツイッターでつぶやいているし、別に私の日常のことを報告したって面白がる人がいるとは思えない。映画の撮影は秘密にしておきたいときもあるし。たまたま、写真をアップしておこうかとか、親戚が見たら喜んでくれるかなと子供の写真などをアップすることはあるけれど。

情報は多ければ多いほどいいこともある。一側面を見続けることの危険性もある。
たとえば、再生可能エネルギーで「太陽光発電」があるけれど、これだってパネルの原材料は中国とエジプトからのもので作られているのではなかったかな。今はよく知らないのだけれど、聞いたころは国産の原材料は使われていなかった。
これはある種の危険性を抱えていたりする。レアアースと同じようなことがおきないかとか。再生可能なら何でも素晴らしいというわけでもない。でも、日本の学者は砂から太陽電池の材料を作り出したり、交流よりも電気ロスのない超直流送電なんてものを考えたりしている。(この直流送電は、ソフトバンクの孫社長がつぶやいたら、情報を知らない学生あたりからつっこまれていたけれど)また、太陽光だけでなく太陽熱に応じた発電のパネルもある。これなんか熱で発電できる。こういうものに、危険な原発に金を出すよりも、実用化に向けて政府や大企業、電力会社がお金を出して商業化の可能性や特許を取るべきなんだろう。
そういうようなことをいつもアンテナを立てておきたいと思っているわけで。

海外なんかは反原発といっても、原発推進派の意見もちゃんと紹介しているらしい。逆もまたあるのだろう。判断できる情報はたくさんあってもいいと思う。
ただ、一方通行でがなりたてるだけではどうかなといつも思っている。
その上で、なにか素敵な発想や考えがあればいいなと思うのだけれど。

ふと思ったことでした。
posted by まっちゃん at 11:43| 福井 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする