2015年08月28日

銃社会と安保



安保法案に反対だろうと当然のように言われると、私は困る。
私は、反対でも賛成でもない。正直なところ分からないのだ。中身もわからないし、賛成や反対する人たちの論理もよくわからない。

安保法案は戦争をするための法案と言われる。でも、果たしてそうだろうか。
アメリカの言いなりになっていると言われる、でも、それがなぜいけないのか。どこまで許されるのか。わからない。私たちは丸腰でいいのか。とも思う。

私は、現代社会はどこまでリスクを経験できるかだと思っている。個人的なリスクの上に、望まなくても社会的なリスクは背負わされている。核のリスク、原発事故によるリスク。潜在的な危険はいつもあるのだ。
それをどう回避していくかが、政治の道であり、駆け引きなのだろう。
そこには、理想も何もないと思っている。戦争のない世界は今のところ存在しないし、戦争が起こるリスクは絶えずある。中国によるアジア支配のリスクは戦争への危険をはらんでいる。経済的な減速がその引き金になりうることは日本はよく分かっているはずだ。そのリスクは日ごと大きくなっている。なっていなければ、こんな法案じたい出てこなかったのかもしれない。
また、9条があるからおかしいという。ならば、戦争になっていもいいのかと聞きたい。9条は戦争抑止力ではない。
それでも戦争にならないという。果たしてそうだろうか。法案があったほうが戦争のリスクが高まるのか、減らせるのか。誰か教えてほしい。
中国は尖閣諸島を自国の領土だと主張している。沖縄まで実は中国なんだと言っている。これは冗談ではない。とすると、尖閣に上陸することはありうるのだ。それはもともと自国の領土だから「侵略」には当たらないと主張するだろう。そして日本がそれを阻止、あるいは奪還する。すると戦争を仕掛けられたとして、堂々と日本に対して開戦できるのではないか。あるいは、沖縄にしてもそうだし、石垣島だっていい。あれは自国の領土だと中国が言ったという事実があれば、それは国際法上禁止されている「侵略」ではないと言えるのだ。
そして日本政府が抗議している間にも、人々は蹂躙され、殺される可能性だってある。
そういう可能性はないだろうか。たとえばの話だが。無知と笑われるのかもしれないが。

私はふと思うのだ。安保法案が外国で受け入れられているということを。どうしてかと。
アメリカは銃社会である。安全と平和は、自分で守っているという意識が高いのではないか。
そして、そういうパワーバランスこそ平和を実現していると考えるのではないか。
そして、貧しい国々もまた、パワーバランスの上に立っている。そこに平和を見出しているのだ。
力の均等による平和。それはアメリカ・ソ連の冷戦時代から続いてきたスタンダードである。それはいまでも、世界の平和のスタンダードではあるまいか。だから、安保法案が当たり前に見えるのではないか。
日本は、戦後70年を平和に過ごしてきた。軍事的パワーバランスがなくてもやってこれたと思うだろう。でも、そこには、米軍によるパワーが存在し、対立する相手もいなかった。そして世界の関心は中東であり、宗教の中心地であり、原油という金の利権もあるのだと思う。日本など、辺境のことはひとまずだれも気にしていなかったのではないか。
銃を持つ人々は、そこに平和を納める力があると感じて戦い、勝ち取っているのだと思う。それが正しいかどうかは別として。パワーを持つことによって、相手が動けないくなると考えているのだ。

日本はどうだろうか。
なにもなしに平和だと感じているのかもしれない。銃社会ではない平和を実現した国。
何もしないことが平和の道だと思っているのかもしれない。憲法をたてに、どんなリスクがあろうとも戦争を放棄するのだと。逆に法案が引き金になると考える人たちもいるかもしれない。れは今、パワーバランスは崩れないと考えているからなのか。

ある日、中国やロシアや韓国が、これは「侵略」ではないと言って侵攻してくるかもしれない。
そんな時、私たちはやっぱり自衛隊を頼るだろう。
これは侵略だと騒いでも、私たちの親族や肉親、自分自身さえ殺されているかもしれない。アメリカ軍だって、自国の利益を優先して行動するのだから、決して私たちの思うようには動かないかもしれない。「侵略」でないなら仕方ないよねなんて。
それでも、耐え忍んで平和を望むのか。私はそれほど聖人君子ではない。妻子が危ないとなればやはり怒り狂い、銃があれば戦うに違いない。日本のためでなく、妻子のために。
あるいはまた、日本に来るタンカーやほかの船をとめてしまうかもしれない。それにより日本は苦しんでも「昔戦争した国だからね」といって正当化するかもしれない。今は全く違うのに。そういうことは起こらないのだろうか。そういう可能性のあるなしを教えてほしい。

外国諸国は、パワーバランスの平和だと感じているだろう。
力による均等。飽和だ。
今の世界はまだ、そんな状態なのだろう。
世界から銃がなくなり、対立のもととなる宗教に頼らなくてもよいくらい人々が自信に満ち幸せに暮らせたらどんなにいいだろう。
国々が会話を続けて、国境など管理のための区切りでしかなく、世界の情報と富と知識をみんながそれぞれに享受できる世界、そうなることを私は望んでいる。
でも、今はまだそこには至ってはいない。
イマジンを歌っても、また道のりは遠い。ただ、なにも知らないよりは、そういう世界を望むことは大切なことだが。

銃によるパワーバランスによる平和を考える人たちと、戦争をするリスクが増えるのではないか、今の平和を守れという人たち。
私はどちらがリスクが減らせるのがわからない。

ただ、すべてを安倍さんのせいにするのはいかがかとも思う。
個人攻撃してすべてが解決するわけでもない。法案そのものをきちんと考えるべきではないか。
いまの、反対運動はなんか少しおかしさも感じるのだが。ただの風潮・流行に惑わされることなく考えたいと思うのだ。




posted by まっちゃん at 20:16| 福井 ☁ | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月21日

戦争なんかしている暇ないっていうの



戦争なんかしている暇ないっていうの。
世界のどこかでドンパチやったり、あそこはうちの領土だのなんだのときな臭いことやったり、そんなことする金があったら、温暖化防止だね。
気が付いたときには、もうかなりの痛手を負うことになる。

戦争反対なのは当然としても、みんなが争うことやめて、憎んだり、悪口行ったりすることはやめておけぱ、もっと住みよい世界になるのにな。安保も軍拡もやめて、そのお金を別に使おうよ。
お互いが手を取り合う世界だったらと思う。人類はもう一歩進化すべきだと思うね。それで、みんなで地球温暖化を止めるんだ。あほみたいに70年前にこだわり、自分たちが火種になってしまうよりも、気持ちよくリセットしてお金も情報も技術も人類全体のため、地球全体のために使われるべきじゃないだろうか。
posted by まっちゃん at 09:43| 福井 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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