2012年05月06日

祝うことではないかもしれない。それは一区切りなのだ。



原発はなくなったわけではない。動いているのがなくなっただけで、国民は、危険にさらされていることに違いはない。このことを肝にめいじたい。今まで反原発の主張に耳を傾けてこなかったために、私たちは少なくともあと300年は放射能廃棄物を埋めた地層を見張らなくてはならないし、(その場所さえ決まっていない)あと、10万年は生物に影響があることを伝えていかなくてはならない。わずか40年程度の発電のために。
原発をリスクマネージメントで考えようという主張もあるが、リスクマネージメントからいえばこれほど割に合わないものはないのではないか。
老朽化した火力発電所の事故が心配だと某大手新聞が書く。でも、原発のリスクはもっと深刻だ。老朽化した原発の心臓部は、何かあったときの緊急停止のときにガラスのように割れる恐れがあるのだ。もし、そうなれば、100キロ圏内はおろか、日本は終わるだろう。火力発電所の事故の比ではない。もう二度と人が住めなくなる土地が生まれるのだ。

CO2が心配だと言う。だがしかし、WWFは温暖化に対し原発はシステム後と不適合だと行っていたのではないか。そして、あれだけ信用ならない政府も、原発がなくても24%の削減が可能だ゛といっているではないか。

もし、電力が足りないなら、なぜ昨年から対策を練らなかったのだろう。政府も、電力会社も。
そして、クリーンエネルギーに舵を切るなら、それの計画をなぜ指示しないのだろう。そして、そのために少しだけ原発を動かしてもいいだろうかとなぜ問わないのだろうか。

今のままでは、なし崩し的に、原発を動かしていくことになりはしないのか。
そして、10年後20年後に、人的な、あるいは経年変化による重大事故が発生し、豊かな国土に人が住めなくなったとき、なぜあの時とめておかなかったのだろうと嘆くことになりはしないだろうか。

ただ、止まっただけで、リスクは依然としてそこにある。
福島原発の4号プールは、いまだになんの解決も出来ていないではないか。

忘れてはならない。
私たちは、負のリスクを今だに背負っていることを・・・


posted by まっちゃん at 21:42| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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