2013年04月09日

亀田と中島

中島知子さんが騒動後初めてテレビに出て色々語った。でも、視聴率は悪かったそうな。
みんなあやしげなものって好きじゃないの? ゴシップって好きじゃないの? そういうこえが聞こえてきそうえな気もする。
でも、みんなは見たくなかったのだな。そんな人を。
何故だろうと考える。
実はみんなが見たかったのは、まともで痛快な人なんじゃないか。
あたりまえの一般人の側に立ち、私たちが思いもよらなかった切り口で物事を切ってくれる。ああなるほどと思う。そこには異常な人はいらない。マツコデラックスさんだって、異常ではないのだ。見てくれは違うけれど。
コンビの松島さんの方は、元からどこがずれている感じが面白い。そして、いつでも幸せそうに笑っている。
たぶん中島知子さんに求められていたのは、そんな天然な人たちの笑いを、引き締めてくれる役割なんだと思う。
妖しげでゴシップな人は、他でいいという事なんだろう。

おそらく、マンションに籠城したりとか、家賃滞納したりとか、他の芸能人が心配したということで話題性を考えたのだろうけれど、ゴシップで出すにしては遅すぎたし、完治でだすにしては早すぎたという事なんだろう。
仕掛け人の事は色々うわさされてはいるが、もうそういう手法が時代にそぐわなくなってきたのかもしれない。

亀田はどうだ。呼び捨てごめん。
家の親父が、部屋で試合を見ていた。曰く、亀田が負けるところを見たかったのだそうな。

私もボクシングは大好きだったのだが、亀田が出てきた頃からぱったりとみなくなった。
何故か。
殴り合いと言うのは、実は不良でのすることであり、殴りあうのはチンピラのすることというイメージがあるような気がする。だが、それがボクシングと言うスポーツになると、科学的な技術の問題となり、あるいはただ、殴りあうだけでではない高い精神世界を感じるようになる。
そこには、殴りあうだけではない何かがある。
だから映画ロッキーはヒットしたのだ。
死力を尽くして戦う姿と、愛する者への叫びと言う事だ。そこに人々は純粋なものを感じていたのではなかっただろうか。

しかし、それを不良のものに戻してしまったのが亀田一族だったように思える。
いままでモハメド・アリやマイク・タイソンなど、大きなことを言うファイターはいた。しかし、試合ではそういった言動はどこかに消え去る力を持っていたのではなかったか。
だが、亀田一族は力があろうが無かろうが、その言動でボクシングも不良少年の殴り合いに変えてしまったような気がする。
本人はどうなのかは知らない。まじめにただひたすら強い人と戦いたい純粋な人なのかもしれない。
だとしたら、こちらも仕掛け人が悪かったのかもしれない。
まァ、周りの人が真面目に取り組んでいる感じがあればよかったのかもしれないが、親父さんもあれだしなぁ。ただのチンピラ一家じゃんと思われてしまったのかもしれない。

ともあれ、私たちは意外とちゃんとした人を見たかったのだ。そういう気がしたこの数日間だった。

posted by まっちゃん at 14:37| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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