2015年03月15日

【かぐや姫の物語】への一考察

【かぐや姫の物語】への一考察

テレビでやっていたのを録画しておいたので、見直したついでにちょいと考えた。
キャッチコピーは、「姫の犯した罪と罰」。単純に考えれば、月世界の住人であった姫が命あふれる禁断の地である地上に憧れたのが『罪』であり、地上に下ろされる事が『罰』である。
姫は帝の行動によって地上世界を否定してしまった『罪』により月世界に戻されるという『罰』を受ける。そのほかにも、姫の『罪と罰』は存在するようだけれど。

でも、見ていて感じたのはキャッチフレーズに縛られたらいけないなということ。
個人的な意見かもしれないが、主要登場人物にはそれぞれ自分を中心として自分が正しいと考えることで『罪』を生み、『罰』を与えられている。姫だけではなく、世界そのものが。人は罪と罰を繰り返しながら生きているのかもしれないと言われているようだ。
五人の求婚者はもちろん、竹取の翁もそうなのだ。帝の『罪』に対してはかぐや姫が手に入らないということで『罰』を受けているのかもしれない。彼ががんばっても月は見上げることしか出来ない。

木地師の「捨丸にいちゃん」もまた最後に、妻子もいるのにかぐや姫との夢のような時を過ごす『罪』を背負うことになる。『罰』は物語では触れられていないが、男なら想像できる気がする。でも、姫が焦がれた世界のひとつの象徴として一番『罰』がないのかもしれない。彼は自分の暮らしに根を下ろし、笑顔で月を見上げている。

一番『罪』がなく『罰』がないのは、おつきの女の子かもしれない。そして。子供たちだ。

そして自然豊かな野山と対比するのは都である。野山は命があふれているが人々は貧しい。都は人々は豊かだが、形にとらわれなければならない。それはお互いの罪と罰なのかもしれない。そして、地上と月世界もまた、命豊かな地上と、高潔だが感情のない月世界として表される。(だから、姫は地上に憧れるのだが)これらはお互いの『罪と罰』なのではなかろうか。
そして、それらは本当に罪と罰なのだろうかと。

そして、見上げることしか出来ない月の美しさ、憧れの終わりに記憶はなくしても流れる涙に人の心の震えを感じる、そんな風に思えるのだ。

ただ、ちょつと不満だったのはあんなふうに筍はとらないんじゃないか? ということでした。

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posted by まっちゃん at 16:26| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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