2015年05月01日

この国のマスコミのカ・タ・チ

ネットという世界で膨大な情報が流れる。
いろんなニュースがあふれる。そして、実は、それぞれに表と裏がある。意見は一つではない。

そこでふと思う。
この国のマスコミの形は進化しているのだろうか。

反論すれば、反対すればいいのか。
もちろん、それも重要だろう。
対論がなければ、反対論を述べてはいけないなどという気はない。いけないものはいけないのだし、じゃあどうするかは改めて考えていいものだろう。

でも、この国の報道の形は偏っている気がする。
たとえばアメリカでの首相の演説。あれがアメリカではだめだとする報道がされた。では、あのスタンディングオベーションはなんだったのか。その理由は示しているだろうか。そのうえで、ダメだと言っているのだろうか。
反対に、あの演説が大いに評価されて、歴史の分岐になるという報道さえある。

また、おわびをしていないから駄目だというところもある。
では、なぜ韓国におわびをしなければならないのか、理由はあるのだろうか。アメリカ向けの演説で。
それはなぜ?
そこまで踏み込んで示している報道はあるのか。

韓国の人たちが反対デモを行った。それは事実。でも、それはアメリカの大きな流れではない。大きく取り上げるべきことなのかどうか。で、実際にそれはアメリカではどいう意味を持つのか。

慰安婦が本当はどうだったのか検証する集まりには人が少なかった。反対に慰安婦の権利を叫ぶ集まりには人が集まったという。どれだけ? 
それは弱い者を助けようという意識は働いているのではないか。

反対に、安部首相の演説を妨害するための新聞広告への寄付は、目標額を下回っている。

では、どういうことなのか。
それをきちんと検証して報道しているところはあるのだろうか。

50年も、報道の形は変わっていないのではないか。
何も学んでいないのではないか。

いい取材とはなにか、どんな視点が大切なのか、時は流れていてサンプルはいくつもあるのに、いつまでも反対だけで興味を引こうとしていないか。

とても疑問に思うのだ。
posted by まっちゃん at 13:02| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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