2015年05月16日

過去は取り返せない。だから、とどめておく必要がある。

韓国で「日本が王宮の気脈を断ち切るためソウルに造った建築を撤去」というニュースがあった。
反日に凝り固まった韓国では、日本が作った過去の遺物は目障りで仕方がないのかもしれない。ただ、あちこちにたくさんあるのですべてを壊しようがないらしいが。

これでふと思ったのが、タリバンによる仏像破壊。あるいはISILによる遺跡破壊である。
宗教や政治とそのきっかけは違うかもしれないが、やっていることは同じである。今の人が気に食わないから過去の遺物を破壊しようというのである。
なぜ、それがだめなのか。
過去の遺物というのは、歴史の生きた証人なのだ。
何が起こり、実差にどうだったのかを伝えていく。それは歴史であり、文化なのだ。それを残せるだけの文化があることが文化の高さを証明できる。そして、それは過ちを繰り返さないための道標であり、また、過去がどういうものであったかを示してくれる時の遺産であるのだ。

たとえば、アウシュビッツが保存されている。
ユダヤ人からすれば強制収容所後は痛ましい記憶でしかないだろう。しかし、それを遺す事で過ちを犯してはいけないという教訓と、残忍なことがここで行われたという記憶の証人となる。
また、日本には古墳時代から江戸時代のものが多数残されている。それは自分たちがどうやって生きてきたかの証人であり、それを肌で感じることの出来る貴重な資料だ。
たとえば大仏が造られたなら、その大きさを実感し、その頃の文明でこれを造るにはどれほどの財が必要だったかを考えることが出来る。国家を考え、文化がどう流れて育ってきたのかを感じることが出来る。
それが、私は偶像崇拝を認めないからと壊してしまったらどうだろう。
私たちの子孫は、それを知る機会を失ってしまうかもしれない。映像と文献は残るだろうが、もし、それが規制されてしまったら終わりなのだ。
自分たちに都合のいいことも悪いことも、後世に残せるのならば残していくべきなのだ。
それば学問という意味だけではなく、実際に足を運ぶことで、その時代を感じ考えさせることが出来るのだ。

エジプトのピラミッドがある。
私たちは映像で見るだけだが、実際に旅行してみれば川との距離、海との距離、ヨーロッパとの距離、風土、風のにおいに至るまで、そこがどういうところであったかが分かるのだろう。そして、どうしてこんなものが造られたのか、その技術や人の力、国力までをも考える源となる。

そういう過去の遺物を、ただ自分たちの感情や時の政権の都合だけで破壊しなかったことにするというのは悲しむべきことではないか。

日本の軍艦島が世界遺産に指定されるという。それを韓国が反対している。なぜか。朝鮮人が強制的に働かされていたところだからという。
もっと、時代的には指定されている年代がずれているし、戦時中に強制的に働かされていたといっても日本人もみんな同じだったわけで朝鮮人だけが被害者ではない。それに朝鮮もまた日本だった時代であり、日本人として同じように働く必要があったのだろう。それを隠したいから反対するならともかく、もし、自分たちが主張する強制労働という事実を後世に伝えていかなければならないと思うならば、世界遺産に指定されることは喜ばしいはずなのだ。一緒に保護されるべき証拠ではないのか。
むしろ、そういう歴史も一緒に保護してほしいと日本政府に頼むべきではないのか。
それを一時の感情だけでとやかく言うのは筋違いだし、文化というものの認識が低いのではないかとさえ思ってしまう。世界遺産や遺構というものが名誉だけだと思っているのか? そこには歴史を伝えるという意があるのではないか。
タリバンやISILと同じでいいのか?

ある友人が言った。漢字を捨て去った国だから仕方がないよと。
今の韓国の人は漢字が読めないらしい。だから、過去の歴史文献を読むことが出来ないともいう。
それほど過去を捨て去りたいのに、過去にこだわってばかりなのはなぜなのだろうとふと思う。



posted by まっちゃん at 08:39| 福井 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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