2015年05月18日

民主主義の限界を感じる選挙だった。



いいのか悪いのかわからない。
「民意を問う」という時点で、私は民主主義、あるいは数が正義ということにどうにも違和感を感じる。

勝ったほうも、結局は課題を突き付けられた感じで69万人が不満を持っていることを突き付けられたという。
同じように違和感を感じている人が多いということではないか。
69万人の民意はどこへ行ったのか。
ただ、選挙に勝てばそれでいいのか。
勝った負けただけで勝敗を決する問題なのだろうか。
そういう問題でないのならば、じゃんけんのような決め方でいいのだろうか。

たとえば総数100の選挙だとして、51対49でも、51のほうが勝ち。99対1でも、99の勝ちとなる。
その差はどうなのだろう。48という物の民意は活かすことはできない。

そして、99対1だとしても、99が間違い、1だけが正しいということだってあるのである。

じつは、それだけに政治家の責任は重い。
多数の代理人であるのと同時に、その1人の正しさを知る必要がある。そして、1の意見が正しいのであれば99を説得し理解させる必要があるのである。
自分の答弁まで人かに書かせたり、自分の質問さえ役所の職人に書かせたりでは責任があるのかとさえ疑問に思う。

代理民主主義だからこその厳しさがある。何でも、民意を問えばいいというものではない。
逆に民意を問うべきことを問わずに進める危うさもある。たとえば原発がそうだ。
徹底的な議論も情報開示もされていない。
フクシマの原発が廃炉になるまで40年かかる。なぜなのか。
今、原発が動いていなくても、金がかかり危険度は減らない。
日本で廃炉を進めているところの現状は知らない。まして、高濃度放射線廃棄物は行き先がなく、廃炉が進んでいったとしても今の原発の敷地に新たな仮の貯蔵施設が作られ保管されるだろう。日本の仮置きばはすでに70%埋まり、もう余裕はない。
そういった事実がきちんと公表されているのか。
そしても民意は60%は原発反対なのだ。

利権や一部の人だけの既得権益や、現状だけでのことを考えるのでなく、この国の未来をありようを考えてほしいと思いのだ。

別な話だが、橋下氏を見ていてふと思う。彼は政治家を辞めたがっているのではないか。それは以前から私がそうではないかと勘ぐり続けてきたことだ。ずいぶん前からかれはやめたいと考えていたのではないか。
政治家は、1度やったらやめられないとも聞く。
でも、人々の欲や利権に振り回されて疲れるという気がする。
権力という魅力があるのと同時に、人として擦り減っていくのかもしれない。
彼はやめて、自由な立場で発言していく立場を選ぶのかもしれない。そのほうが気楽なのかもしれない。それを選んでいくような気がする。


posted by まっちゃん at 11:09| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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