2015年09月01日

東京五輪エンブレム使用中止は当然だとおもう。



もともとの原案が違ったとしても、最終的に使われるものが他と同じデザインなら使えるわけがない。
そんなのデザイナーとしては当たり前。少し違えばいいなんて世界でもない。
みんなそこで飯を食っているのだから、オリジナリティーは重視されるのだ。
最初に見た感想はほかでも書いたけれど、ださいである。
いまさら、過去の五輪とイメージを重ねてどうする。
そして、文字を変化させるあの手の方式はやりつくされている。そういうものを選ぶあたりがセンスがない。これは、デザイナーのセンスでもあるが、選ぶ人のセンスでもある。センスのない人が、他からの圧力だけで選んだように感じてしまう。これは選ぶ大会委員会に透明性を感じないからだと思ってしまう。
大会委員会が、透明性をもっていくつかのデザイン案を示し、その中でもこれっという風に手順を追って発表せずにいきなりこれですって言われもという気がする。もちろん、ほかの作品を発表しないという理由もわかるのだけれど。

大会委員会が古い体質のままなんだなと思ってしまう。そして、そこにいろんな利権がからんで、儲けようとしているのだなと思われてしまう。国立競技場がいい例だ。はした金だという、そこがもうずれている。もともとコンパクトな大会を目指していたような気もするのだが。
本当に五輪を純粋に成功させようと考えているのか、そんな風にも思われてしまう。自分たちの都合のいいようにすればそれでいいと思っているのではないかとカンぐりたくなる。どうせ大衆は烏合の衆だからと、古い意識しかないのではないか。なんでも、上から言えばありがたがる世界ではなくなっているのだ。

あんな日本を感じることもないようなデザインをどうして選べたのか。選考にもっと透明性と、もっとセンスのある人をいれて納得させてほしいものだ。
posted by まっちゃん at 16:17| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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