2015年11月19日

予言のようなもの。

予言めいたものといっても、預言者じゃないので当たるのかどうかは問題じゃないとして、ふと思うのだ。
 インターネットがここまで発達してきた意味とは何だろう。

 日本の江戸時代や、インカ帝国を思い出す。文明がある一定の基準で飽和してしまった状態。それは平和であり、(そりゃ犯罪はあるだろうが)そこに生きている人々にとってはそれで満足いく状態だったに違いない。
 そりゃ、他の大きな力が入ってきた時は、滅んでしまったり揺らいでしまったりするわけだが、その文化・文明がそこで完結している分には、とてもバランスが取れていて長く平和となる。
 インターネットとは、情報を共有化することによって、文化文明を飽和化していくのではないか。新しいものが生み出されないというのではなく、強大な共通文化圏みたいなものを作り出せるのではないかということだ。
 マンガならおなじみかも知れない。

 昔の人々は、自分の知る世界しか知らなかった。当たり前だが、新しい世界はひとづてにきき、そういうものがあると認識するしかなかっただろう。興味がなければそれで終わり、自分の世界で完結する。しかし、興味があれば自分の世界を壊し、飛び出て新たな自分の世界を広げていく。
 それは国家でも同じで、小さな島国のイギリスが世界の覇権者となった。世の中は帝国主義となる。新しい世界を手に入れることで、自国の領土を広げていく。日本も帝国主義だったそうな。そして、中国こそうち夕の中心とする中華思想もまた、同じようなもの。
 そこには軋轢が生まれ、戦争が生まれる。第1次世界大戦もレーニンがそういっている。また、現代で言えばISがイラン戦争から生まれたと言われている。イラン戦争もまた、利権が絡んではいなかったか。
 もともとはユダヤ教とイスラム教の対立。それから、イスラム教内の対立。そこに欧米が干渉することでそれぞれの国の思惑が絡む。
 そして、その結果ISが生まれ、火の粉は一地域だけでなく、世界中に広がりを見せている。
 その帝国主義的な考え方はまだ、世界中にある。好んで紛争の種にしなくてもいいと思うのだが、中国も勢力を拡大することに一生懸命。
 だが自国では少数民族への弾圧によるテロがあり、一人っ子政策によってゆがんだ人口ピラミッドが生まれ、超高齢化に悩む。頼るべき若者は小皇帝であり、自己中心的であり、自分の利害には厳しく考えているだろう。国をまとめようとして、長老どもが戦争を匂わせとまとめようとするが、戦争という古い手段でまとめ上げるのは難しいのではないか。
 中国は局地的な戦争はするかもしれないが、ある程度自分たちに有利であればこだわらないのではないか。
 次の世代の指導者が、どこまで今の路線を継承するだろうか。内需を拡大することで、巨大な市場をもつ普通の国になるのではないか。そして、貧富の差というより、ある程度満足できればいいというようになるのではないか。
 帝国主義の終焉になる気がする。そこには、インターネットによる情報の共有によって飽和した世界へ脱皮していくような気がするのである。
 
 韓国は悲惨かもしれない。感情に支配され計算できないと言われているが、実は計算高いという話もある。ただ、一時の激情だけで乗り切れるかというと難しい。日本を抜いて高齢化社会であり、内需拡大にも人口が少なすぎる。このまま、世界情勢の中に翻弄されそうである。
 国が亡びそうになりながらも、反日を唱えるか、ある日突然親日になるか。
 ありえないかもしれないが、自治権を持ちながらも経済的には日本に吸収されて行くのかもしれない。何世代か後には、「もう日本でいいんじゃね」という若者が言い出すかもしれない。
 日本の経済圏の中に組み込まれ、お互いが行き来し、韓国の事業など日本が請負おう。ひとつの経済的な日本の州の一つのような立場になるかもしれない。北朝鮮はロシアに組み込まれるか、中国に組み込まれるか。国は自国の一家だけで運営できるようなものではないだろうから、どこかの経済圏の中に組み込まれる。
 それには、インターネットなどでの情報の共有や、一定ラインまでの進化が必要となるだろう。だから、金一族は、日本の天皇のような存在ということにして、経済的にはほかの国の動きの中に組み込まれる。
 台湾も、日本の州のような立場になるかもしれない。
 日本は、領土的には広がらないだろう韓国や台湾が経済的に結びつきが大きくなって、日本の州の一つのようになったとしても、自治権はそれぞれにあり、国として機能しているのではないか。ただ、今のような国という考え方が通用するかどうか。

 まぁ、そんなことを夢想するのだ。
 アメリカやヨーロッパはどうなるだろう。
 文化的に成熟した国はそこで完結する。ヨーロッパは歴史が深い分、飽和の度合いは高いだろう。アメリカもまた、国内の問題を多くはらみながら、完結していくだろう。
 中東などの紛争はどうだろう。介入することで自分たちに火の粉が降りかかるということであれば、欧米の介入の震度は浅くなり、そのうち強制的に終了させられるような気がする。それは悲惨かもしれないが、ずっと続くよりはいいのかもしれない。
 戦争なんかで、とやかく言う時代じゃなくなる。それはあとどれくらいかかるかわからないが。何度かの小競り合いや、大きな戦争になりかけながらも、結局のところ終わらせたほうがましということになるような気がする。
 戦争をすれば、何かが儲かるという時代ではなくなるような気がする。それでも武器商人たちは武器を作るだろうし、国は買うだろう。これがなくなるのはずっとあとかも知れない。

 インターネットにより情報の共有化が図られ、人々の意識が飽和状態に向かっていく。として、SNSはどうなるだろうか。
 反インターネットというような流れが生まれるかもしれない。インターネットのない方が幸せだという流れ。それが自然回帰の流れを産む。
 しかし、情報の共有化、利便性からネットの流れは変わらないだろう。人々の利用率そのもの、SNSや自己の切り売りは減っていくし、自己制限されるだろうし、敬遠もされるかもしれない。だが、どこに行けばどのような価値があるのだろうかとか、知識の共有化という部分では普遍的な価値を生む。
 かくて人類は巨大な意識に統一されるとは言わない。個人はあくまで個人。ネットの情報を利用する部分とねそれを必要としない部分に分けられていくのが普通の生活になるのではないか。
 たとえばロボットが店員になれるからと言って、すべてがなるわけではない。最初は都会。それから、広がりを見せるが、やはり人間の手に戻ってくるのではないか。そして、ロボット店員(ヒューマノイド型ではなく)は人でがないところや、さほど必要でないところに利用される。
 自動車の自動運転は、あるていど法整備がなされ、それが可能なところで発展するだろう。地区ごとの発展になる。日本なら全国的に可能だろうが、すべてはならないのではないか。たとえば速度の調整やルートの調整、衝突事故回避などが充実していくが、人の手によって運転するということが残るのではないだろうか。自動運転と手動運転の切り替えみたいなことがおこるかもしれない。
 すべてが機械の手にゆだねられるということは、ありえない気がする。自分の手で運転する、あるいは何かを自分の出て作り上げるというのは、価値あることになるのではないか。
 なんでも機械でできるが何でもはしない。種をまく温度湿度、タイミングはコンピュータが教えてくれるが、それにあえて従ず、そこから生まれる予測不可能なことに価値を見出すような。
 中世への回帰のようなものが生まれるかもしれない。ある種の贅沢として。
 人間は自分で出来ることは自分でする。それが、人としての尊厳を保つことになる。中世のお城の中の一室に、ネットでつながれたコンピュータがいる。そんなイメージかも知れない。
 
とまあ、こんなことを考えてみたのだが、当たるだろうか? 
posted by まっちゃん at 11:33| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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