2015年03月19日

パクリ元祖が日本だって? そのとおりだけど、そうじゃない

中国で日本こそがパクリの元祖じゃないかというニュースがあった。
中を読んでもしょうがないので読まないが、その通りパクリ元祖である。
都市計画は唐の都を参考にしているし、漢字だっていただいている。ただ違うのは、それを加工してしまうということだ。日本流に。
漢字は万葉仮名として、日本語の発音に漢字をあてはめ、それが崩れてひらがなになる。万葉仮名になった時点で中国の人には読めない。
また、スパゲティは明太子スパゲティや餅いりスパゲティを生み出す。
ただの中華そばが、ラーメンへと変貌する。

それはパクリではなく進化だ。

中国や韓国のパクリは、劣化複製である。
日本の文化は進化だと思う。
さまざまなものが新しい文化となり、芸術にまで高められることすらある。

たとえばスマートフォンがあったとして、安く複製品を作ろうというのが中国なら、全く新しいものを生み出そうというのが日本式なのだ。残念ながらスマホではまだそういうものが生まれていないが。
携帯電話は日本独自に進化し、ガラパゴス化したのはよく知られている。だがら、スマホから乗り換えを考えなくても十分使用に耐えられるのだ。

パクリ元祖けっこうじゃないか。悔しかったら、芸術や文化まで進化させ、新しいものをそれを土台に生み出してくれ。
posted by まっちゃん at 14:14| 福井 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月15日

【かぐや姫の物語】への一考察

【かぐや姫の物語】への一考察

テレビでやっていたのを録画しておいたので、見直したついでにちょいと考えた。
キャッチコピーは、「姫の犯した罪と罰」。単純に考えれば、月世界の住人であった姫が命あふれる禁断の地である地上に憧れたのが『罪』であり、地上に下ろされる事が『罰』である。
姫は帝の行動によって地上世界を否定してしまった『罪』により月世界に戻されるという『罰』を受ける。そのほかにも、姫の『罪と罰』は存在するようだけれど。

でも、見ていて感じたのはキャッチフレーズに縛られたらいけないなということ。
個人的な意見かもしれないが、主要登場人物にはそれぞれ自分を中心として自分が正しいと考えることで『罪』を生み、『罰』を与えられている。姫だけではなく、世界そのものが。人は罪と罰を繰り返しながら生きているのかもしれないと言われているようだ。
五人の求婚者はもちろん、竹取の翁もそうなのだ。帝の『罪』に対してはかぐや姫が手に入らないということで『罰』を受けているのかもしれない。彼ががんばっても月は見上げることしか出来ない。

木地師の「捨丸にいちゃん」もまた最後に、妻子もいるのにかぐや姫との夢のような時を過ごす『罪』を背負うことになる。『罰』は物語では触れられていないが、男なら想像できる気がする。でも、姫が焦がれた世界のひとつの象徴として一番『罰』がないのかもしれない。彼は自分の暮らしに根を下ろし、笑顔で月を見上げている。

一番『罪』がなく『罰』がないのは、おつきの女の子かもしれない。そして。子供たちだ。

そして自然豊かな野山と対比するのは都である。野山は命があふれているが人々は貧しい。都は人々は豊かだが、形にとらわれなければならない。それはお互いの罪と罰なのかもしれない。そして、地上と月世界もまた、命豊かな地上と、高潔だが感情のない月世界として表される。(だから、姫は地上に憧れるのだが)これらはお互いの『罪と罰』なのではなかろうか。
そして、それらは本当に罪と罰なのだろうかと。

そして、見上げることしか出来ない月の美しさ、憧れの終わりに記憶はなくしても流れる涙に人の心の震えを感じる、そんな風に思えるのだ。

ただ、ちょつと不満だったのはあんなふうに筍はとらないんじゃないか? ということでした。

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posted by まっちゃん at 16:26| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月26日

最近、韓国の記事が少なくなったなぁ。

そんな気がする。
韓国の前大統領が竹島に上陸したり、今の大統領が告げ口外交したりというのは、韓国が自分たちが日本より上になったと思ったから、目下の者を攻撃、というか反撃してやると思ったからだという。
日本は、どっちが上だとか下だとかあまり考えていなくて、お互いしんどい時は助けあいましょうよとか、面白いところがあるなら行くよ、ドラマが面白いんなら買うよという感じだったのだと思う。
ところが一変して日本が悪いと言い立てられる。
日本では戦後は遠くなっていて、戦争のことでとやかく言われるとはあまり思っていなかった。
どちらかというとお互いに未来を向いていると思っていたのではなかったか。
それが、仏像は返さない、新聞局長は拉致したまま。好き勝手やっているのは北朝鮮と変わらないようにさえ見える。反日教育はいっそうひどくなる。韓国の文化レベルというのはひょっとしたらまだ幼いのではないかと、みんなが思う。
そこで出てきたのが「嫌韓」だったのかもしれない。
お前たち人のことを悪く言うけれど、そこまで発展したのは誰のおかげだ、あるいは、訳の分からないいちゃもんをつけるな、歴史を正視していないのは韓国だとか、危機の時に助けたのに恩を仇で返すのかという具合だ。それがエスカレートして、韓国人はでていけという話になった。もともと、悪口をいい続けられたらいい気はしない。一般人の感覚はそんなもんだと思う。私も一般人だから。
で、韓国の経済は悪いっていう話で盛り上がり、いつ破綻するのだという話になる。実はもう破綻しているという話すらある。それは韓国国内の経済新聞というのかそういう機関が実はもうマイナス成長で、雇用を創出したと言っても安定した正社員が増えたわけではなく、若者失業率は目も当てられないと書いている。経済政策を行うべき大統領がなんの手も打っておらず、「韓国経済は可哀想」などど他人ごとのように言ったというニュースまで流れてくる。日本で言わなくても韓国自身で疑念を抱いている。
実際のところ、国レベルの経済が「嫌韓」の騒ぎくらいで左右されるわけもなく、長年のつけが表面に出てきたというところなのだと思う。

それよりも、韓国自体のニュースが減っている。そんな気が最近している。
いい話も悪い話も、小さな話もあまり入ってこない。さすがに大きなニュースは入ってくるが、昔ほど目につかなくなっている。それはマスコミが故意にそうしているのか、あるいは人々はもうそれほど関心がなくなったということの現れなのか。
日本人は流行に敏感で、自分の懐で日本流に変化させていく。
しかし、もうどうでも良くなると関心が薄くなっていく。
今やISILや、アメリカ映画や、あたらしいテクノロジーで満腹なのだ。オリンピックを控えあたらしい都市が出来、あたらしい店ができる。そして自分たちの景気は良くなっていくことに期待を寄せている。100円バーカーよりも、600円で心の満足を買おうと言う方に関心が向く。

韓国の冬季オリンピックの準備が進まないからといって、自分の国でできるといったし、援助は断ると言ってきたんだし、悪口ばっかり言ってる国をなぜ助けなきゃならないんだとも思われる。それ以前に、「だからなんだ?」としか思わなくなっている。どうでもいい国でしかなくなっている気がする。韓国が思うほど、日本人はこだわらない。もう流行は過ぎた。韓国はすでにみんなの心の満足を満たしてくれそうにない。韓国のドラマが受けたのは、心の満足を得られたからだ。テレビを見ていて「ああこの人達は、日本を嫌いって言っているんだな」とおもったら、満足なんか得られない。もういいや。
せこいようだが、人の心なんてそんなものだ。
日本人は善人かもしれないが、聖人ではない。
そんなふうに見えてくる。
また告げ口外交でもすれば韓国に注目はむくだろうが、それはもう反発しかうまないのではないか。

商売で言う「10年かかって築きあげてきた信頼でも、1秒で崩れる。それを元に戻すには、とてつもない努力が必要だ」
別に、自分たちが勝手に思っていた「格下」に戻れというのではない。同等の国として、お互いを尊重して敬意を払っていくしか戻れないのではないかという気がする。
ただ、関心を戻せと言っても、なかなか難しい気がするのだ。
posted by まっちゃん at 12:06| 福井 ☁ | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月20日

スタートレック!! スタートレック!!

スター・トレック イントゥ・ダークネス [DVD] / クリス・パイン、ザッカリー・クイント, ベネディクト・カンバーバッチ (出演); J.J.エイブラムス (監督)宇宙大作戦 シーズン1<トク選BOX> [DVD] / ウィリアム・シャトナー, レナード・ニモイ, ディフォレスト・ケリー, ジョージ・タケイ (出演)

古いスタートレックの映画を借りてきた。もう何回見ているのかわからないけれど、突然見たくなる。今回は、『スタートレック・イントゥダークネス』が面白かったからだ。前作も好きだったけれど。
借りてきた映画は、正体不明の巨大な敵が地球に迫り、提督となっていたカークが船長に復帰して危機を脱するというものだった。壮大すぎて少々難解な物語だったかもしれないが、当時は評判になったものだ。
特撮も当時としては高水準だったに違いない。テレビシリーズからすれば、雲泥の差だったかもしれない。たぶんミニチュアを使いモーションコントロールカメラで撮影されている。
今はほとんどがCGになっており、古臭い特撮に見えるのは仕方がないけれど、まぁ、それすら楽しいものに思えるのだけれど。

で、この物語、スタートレックの世界がどうして好きなのかふと考えたのだ。

宇宙もの、それもシリーズもので愛されている作品は「スターウォーズ」と『スタートレック』だろう。
この二つの世界は大きく違っている。
スターウォーズは、舞台を宇宙に持って行っただけで、ホースオペラ、西部劇なのかもしれない。神話世界から語られている物語の骨子を宇宙に持っていただけ。完全にファンタジーである。だから、とても古い物語なのかもしれないし、遠い未来の話なのかもしれない。
それはそれでいいと思う。でも、異世界の物語のだ。
対する『スタートレック』は、もちろん冒険譚なのだが、それとは違い科学的な匂いがぷんぷんするのである。スタートレックの船は清潔である。それは、今の宇宙船と通じるものがある。
映画ではカークがシャトルで、宇宙ドックにあるエンタープライズに乗り込む。どうやって動いているのかは不明だが、でも、ドッキングハッチやそのドッキングに今の宇宙船の流れを感じるのだ。また、その内部も、今の映画と比べればちゃちなのだが、(なんせ1979年の映画だもの)今の宇宙船やISSから感じるものと同質なものがあるような気がする。ジェミニ・アポロ・スペースシャトルが過去にあるという感じがするのだ。
しいて言えば、宇宙空間が正しく広がりを持つた空間として感じることが出来るのだ。まぁ、宇宙空間では星はまたたかないのだが、またたいているよなシーンもあるのだけれど。
新しいスタートレックの映画も、やはり宇宙空間を感じることが出来る。宇宙空間で音がまったくしなくなるという表現が今回もあった。また、古い宇宙船の模型がが並んでいるというようなカットもあったような気がする。

スターウォーズが、神話世界であり、宇宙船は人がつぎはぎで作れるように感じる世界であるのにたいし、スタートレックは昔の作品も、新しいパラレルワールドの今回の物語も、地球の科学が正しく発展していった世界を引き継いでいる。それは、昔語りやファンタジー世界とSFの世界との差なのだろう。

私はそれを確認したかったのだ。
そして古い映画も、それなりに楽しんでいる。
そして、私が好きだったボイジャーや、はやぶさに思いをはせるのだ。
こういう映画を見ていると、漆黒の宇宙に真っ白な宇宙船で飛び出していきたくなる。それははるか未来の物語だが、現実世界に近いためなのだと思う。


posted by まっちゃん at 21:45| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月19日

『「ガンダム」を創った男たち。』

「ガンダム」を創った男たち。 上巻 (カドカワコミックス・エース) [コミック] / 大和田 秀樹 (著); KADOKAWA/角川書店 (刊)「ガンダム」を創った男たち。 下巻 (カドカワコミックス・エース) [コミック] / 大和田 秀樹 (著); KADOKAWA/角川書店 (刊)

おととい、ニュースサイトで記事を見て『「ガンダム」を創った男たち。』上下巻を注文し、昨日息子とともに読了。漫画だからね。基本はギャグ漫画なんですが、なんかものすごく懐かしい。35年前の話ですからね。息子にも、ガンダムにも熱い人の歴史があったことを知って欲しかった。ただ、ガンダムが好きというだけじゃなくて、調べればどんなことにも歴史があり面白いということを知ってほしいなぁと。まぁ、ただのおたくを製造している気がしないでもないけど。

この本は、アニメがどうのという本ではない。戦争物の『宇宙戦艦ヤマト』のヒットがあったからとか、今までと違うロボット物の定義がとかという話ではない。そんなものは今までにいっぱい語られている。
ただ、ガンダムという未だに人々を魅了するコンテンツが産まれた35年前、携帯電話もネットもない時代に、それを作り上げ、広げていくクリエイターたちの物語であり、その熱意、発想の物語なのだ。それは、何時の時代でも変わることがないかもしれない。
時代がガンダムを創ったのか、ガンダムが新しい時代を作ったのか。それはよくわからない。でも、それから以降のアニメの形を変え、人々の意識を変える。
もちろん手塚アニメや、ジブリも日本が誇るアニメ文化の礎であるだろう。だが、子供向けのロボットプロレス、おもちゃのためのCM番組が大人が文化を語るまでのコンテンツに変容していったのはどうしてなのか。
たかがロボットアニメの話ではある。でも、そこに今だに世界を動かしているコンテンツを作り上げたクリエイターたちの歴史がある。人の歴史は私を魅了してやまないのだ。
そして、既成概念にとらわれず、なにか新しいものを創りだそうとする力。その歴史を、息子に読ませたかったのだ。
戦国武将や偉人だけが歴史ではない。今もまた、いろんなところで歴史は作られている。
何かを言われなくては、何も出来ない子どもたち。でも、自分の好きなモノを見つけて、なにかを作り上げてほしいとも思う。へたこれるなと、ただ、思うのだ。

posted by まっちゃん at 11:59| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

ガラケー派ですが、なにか。

国内の携帯電話の売上が、スマホよりもガラケーが伸びているそうな。そんなのあたりまえじゃないのか?

猫も杓子もスマホスマホと言っていたけれど、そんなにネットやってんの? 電話とmailだけなら、今までの携帯でいいじゃん。通話料も安いし、何より電池のもちがいい。
そりゃ、ちょっとは外出先でネットで調べ物をしたいことはある。でも、そんなの一年に何度あるだろう。車にはカーナビも付いているし、目的地がわかっているなら前もってネットで調べておくだけだ。
スマホが全て便利なわけじゃない。
世の中の人がみんな写真をとっているわけでも、ラインを使っているわけでもない。むしろ、電話機能がアレば充分と思っている人は多いんじゃないだろうか。ゲームなんかはなからしない。というか、スマホのゲームって安っぽい。
そう考えれば、今までの携帯で事足りる。
それに気がついたら、不便なスマホにどうしてこだわらなきゃならないのか?
少なくとも、私の生活はスマホがなきゃ不便ということにはなっていない。


posted by まっちゃん at 09:54| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月11日

東日本大震災から3年



3年前の3月11日。私は、お客さんのところにいた。ちょっとした打ち合わせをした後、事務員さんが、東京でなにか大きな地震があったみたいよといったのを覚えている。
関東大震災みたいなってこと? 
いや、そうじゃないと思うんだけれど、なにか大騒ぎしてるみたい。 
ふうん。でも、放送があるってことはまだ大丈夫なんじゃないの。
私は、阪神大震災のことを思い出していた。
あの時は、揺れで目を覚まし、テレビをつけたら電話で本や織機は落ちてきたけれど大丈夫ですと誰かがしゃべっていた。でも、明るくなるにつれ被害の規模がわかっていったのだ。今回は、明るい時の地震だから、ビルでも倒れたらもっと大騒ぎしてるよなと考えていた。
お客のところを後にして、事務所に帰ってきてテレビをつけたらとんでもない映像が飛び込んできた。
田畑を津波が襲っている。
逃げ惑う自動車がいた。
まるで映画のようで、現実味がない。
やじうまというか、事件でも、事故でも、災害でも、ふと面白がってしまう気持ちがある。それは台風の時と同じ気持だ。風のなかで笑いながら台風を心配するのと似ている。それはひょっとしたら誰でもが持っているものではなかろうか。
その時、心の何処かは、いつものように面白がろうとしていたのに違いない。でも、それはたちまち戸惑いに変わる。
自分がその場にいたらどうだろうと考える。
それから、テレビのチャンネルをあちこちに合わせ、ツイッターで情報を集める。たちまち、とんでもない現実が見えてくる。私は何が出来るかということを考えるよりも、まだ見ていることしか出来なかった。

3年前の私は、そんなふうだったのを思い出す。
あれから、何が変わったのか、変わらなかったのかはわからない。

ただ、その時を迎え、静に祈るだけだ。今は。
posted by まっちゃん at 15:28| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然災害関連(中国以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月03日

これから中国はどうなるのだろう? 大気汚染



中国の大気汚染は『核の冬』レベルだそうな。と言われてもピンとこなかったのだが、太陽光が大気汚染に遮られて、気温が上がらないらしい。
ということで、20日で出来る温室トマトですら2ヶ月かかって育っているという。日本でも冷夏による大飢饉が江戸時代には起きているが、その可能性もある。
また、汚染範囲も74都市のうち70都市にまで拡大している。
すぐにどうこうできるレベルではないらしい。

大半は、石炭から出るものらしいのだが、それに対する処置は難しいだろう。社会的なシステムを変えなきゃいけないし、貧しい民衆には余計な出費は難しいだろう。金持ちは、食料がなくなったら買えばいいと思うかもしれないが、それはマリーアントワネットのように『食べ物がないなら、お菓子を食べればいいじゃない 』と同じレベルだ。食べ物がないなら買えばいいのだが、売る作物がなければ金はない。貧しい農民は、飢えと病気に苦しむかもしれない。
工場をいくつか止めたそうだが、効果はなかったという。

大気汚染による医療費の増加は避けなれないだろう。この先、何年も。水も汚れ、大地も汚れている。
そして、食糧事情も悪化するとなれば、人は生きていけるのだろうか。
中国の人は、自分たちがいるから世界が成り立っていると考えている。
でも、ほんとうは、誰がトップなどということはない。誰もが空気を吸い、物を食べ、産まれ、死んでいく。生まれるときも一人。死ぬときも一人。だが、生きていくということは人との交わりの中で、生かし生かされていく。持ちつ持たれつ。そのなかで生きている幸せを感じたいと願うものだ。
それは自然に対しても同じなのだろう。
人との争いに勝ち負けは付けても、自然はそのまま返してくるだけだ。

国ではなく、誰もが健康で、笑って暮らせる世の中になってほしいものだ。




posted by まっちゃん at 10:07| 福井 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月01日

クロユリ団地

クロユリ団地 スタンダード・エディション|前田敦子/成宮寛貴|(株)ハピネット|送料無料

うーん。
最近ホラー映画は食傷気味なのだが、この映画はそれほど新鮮味がない気がする。
死者の因縁話であって、クロユリ団地そのものに何かあるのかという話ではない。本当はそうしたかったのかもしれないし、それがシリーズ化で明かされるのかもしれない。
ただ、最初は幸せな家庭に見えるものが、どこかほころんでいくというのは、それほど新鮮味はないが、手法としてうまく処理している。
前田敦子も、私は別にフアンではないので別な役者でもいいんじゃないかと思ったりもしたのだが、別に不満なく見れる。ただ、やはり名前が出すぎていて、鑑賞のじゃまになる。たとえば、ここはかわいいけど、ここはなぁとか、演技以外の部分が気になってしまうのだ。では演技が下手なのかといえば、監督の腕とか脚本がいいのか、無理矢理の演技にはなっておらずいいと思う。他の映画で、主役はいいけど脇の役者の演技がダメで、脚本も説明的すぎるのだろうけれど、しらけるということもあるのだが、それはない。
ただ、せっかくのウルトラマン俳優も、ご学友もうまく処理しておらずもったいない。
普通なら、ウルトラマン俳優もご学友も、きっちり殺されており、それで主人公たちの危機をもっと描くと思うのだが。そういう意味では、ただの怖がらせる映画だけではなく、情緒的に処理したのかなと思う。でも、やはり、ご学友たちもウルトラマン俳優ももったいない。結果的に、彼らが出てきた意味があまりなくなっているのだ。
う〜ん。旧作になってから借りればよかったかな。


posted by まっちゃん at 13:28| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月24日

「フェイスブックは伝染病のように消える」、研究者らが大胆予測



なんとなくわかる気がします。
ひところ流行ったツイッターも、つぶやく人ががくんと減った。毎日必死でつぶやくことにつかれたというか、なんでつぶやかなアカンの? という疑問が生まれたんだと思う。それが連絡Toolの代わりになっている人や、基本的につぶやくのが好きな人は使っているし、それを眺めるのが好きな私のようなものは使ったりするけれども。
FBも、一頃熱病のように書込していた人も、最近ではおとなしくなった。書き込んで、だからなんだというのだという気分になっているのかもしれない。
企業系の宣伝に使っている人はこまめに書き込んでいるけれど、あとはいつでも読める掲示板というか、そういう使い方が多くなった。こういうことやっているよとか、これどう思う程度の軽い書き込みで充分というか。
もともと友達とつながることが目的ならば、必死に書き込むような努力をするよりも電話で済む。

無くなりはしないかもしれないが、使い方は変わっていくのではないかと思う。情報をな花したい人が書き込み、それを大半の人は眺めているというふうに。それが重要なToolではなくなっていく気がするのだ。

ゲームもそうだろう。
皆で参加することが楽しかったスマホのゲームは、それが楽しい人達には受けるだろうが、ゲームの質や奥行きを楽しみたい人にとっては、今までのゲーム機のほうが楽しいだろう。それと同じことだ。
通信で多人数と楽しむゲームが良いならばそういうゲームばかりになりそうだが、そうではない。PCによる参加型のRPGがそれほど世間に受け入れられているとは思えない。

つまるところ、あたらしいものに皆飛びつくのだ。そして、それがどういうものであるか、理解したところで使い方が変化するのだと思う。

スマホだってそうだ。
携帯電話だけで済むのなら、通信費の高いスマホにする必要がない。だから未だにガラケーが売れているのだ。メールと通話だけが出来る携帯電話で、通信料が安いなら、そのほうがいいという人もたくさんいるのではないか。
タブレットで、公衆LANのあるところで情報を手に入れ、それを保存することで利用度を高め、あとの連絡は安い携帯電話で充分。

だからFBが今より利用者が少なくなったり、消えると言われても驚きはしない。


posted by まっちゃん at 13:42| 福井 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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