2013年10月03日

トム・クランシーさんのご冥福を祈って



そうか。
トム・クランシーさんが亡くなったのか。

短い闘病生活というのが気にかかるのだけれど、苦しまなかったのだろうか。長く患うよりも、良かったのかもしれないが。
素晴らしい才能が消えてしまったことは残念。

その人生はどのようなものだったのだろうか。
悔いのない、楽しいものであったならいいと思う。きっと、自分の作品のなかに遊び、満ち足りた生涯だったに違いないと思うことにしよう。

ご冥福をお祈りいたします。


posted by まっちゃん at 08:34| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月03日

嫌い嫌いも好きのうち



嫌い嫌いも好きのうちなんだろうけれど、言い続けられたら、こっちもいい加減うんざりしてくる。
そういうニュースしか流していないのかもしれないが、大統領の言動などはそういうことをしてないのだろうから、やはりいい気分にはならない。
ものすごく子どもという印象を受ける。韓国は新聞でさえも、自分たちの歴史や、中立性、国際性の感覚に欠如しているのでは無いかという印象を受けてしまうのだ。小学生が先生に告げ口する感覚と同じものを覚えてしまう。
そういうニュースばかりが目立つというか、そもそもそういうものがニュースとして流れてくる状態が不思議な気がする。
後々の事まで考え、どこかに冷静さがないと。

韓国がすべての発祥だと主張する姿をネットの住民たちは「ウリジナル」という。ウリとは韓国語でわれわれという意味だったが。それにオリジナルを足した造語である。
たとえば漢字さえ起源は韓国だと言い張るわけだ。日本の祭りすら起源は韓国なのだそうだ。むちゃくちゃな言い分だと思う。そのうち、人類の発祥も、すべての文化の発祥も韓国だと言い出してもおかしくない気分になってくる。
たとえばテコンドーのルーツは、空手にあるらしいのだが、韓国人はそれを認めない。もともとの創始者がそう言っているのに、はるか昔からあったそうな。
空手は、もともと体術から出ているのではないかな。刀や槍での戦いの中で、武器がない状態での戦いがもとにあったのではないのか。それは柔道のルーツでもある。
そして、本当のルーツは手足を使ったケンカだろう。それは、人間が動物である以上、縄張り争いや食物の取り合いで生まれただろう。それは原始時代よりもはるかに古い話だろう。
それが体系化していくことは充分ありうるのではないか。

反面、韓国ではそれを危惧する動きもあるという。
思い上がっちゃいけないということを言っている人達もいるらしい。なにか言葉があったが、忘れてしまった。

ともあれ、そもそもそれを主張することになんの意味があるのかがわからない。
自分たちが素晴らしいと言って欲しいだけなのか。
それでいま韓国がどこの国と比べても、飛び抜けて素晴らしい文化と文明を誇っているのならば意味がああるのかもしれない。でも、今まで日本に助けてもらっていた事実はあるわけでしょ。
日本が関わらなければ、民主化もない、染色技術すらなかったとも言われているし。

ジャパンオリジナルというのはちょっと違う。
例えばラーメン。ルーツは中国の麺類なのだが、もうまるっきり違うものになっている。だからラーメンは中華料理ではなくなっているといえる。
それぞれの工夫があり、成立自体が違う。昔は、きちんとした料理とくらべて格の落ちる食べ物だったが、いまや、料理と呼べるものにまで進化している。
そこにジャパンオリジナルというものがあるように感じる。
たとえば、近年日本のマヨネーズが海外で人気なのだが、これだって日本という国のフィルターを通すことでより美味しいものに変わっていったためだ。さらにはたらこマヨネーズなど、すでにマヨネーズではないものまであるのではないか。
ルーツは、欧米の家庭で作られてきたソースの一つじゃないか。でも、それにどれだけの意味があるというのだろう。
漫画だってそうだ。ももとは原始人の書いた壁画だった。それが、絵巻物というストーリーを持つ読み物となり、漫画となってきたのではないか? ルーツに意味があるのではなく、それをどう発展させて独自なものに作り変えていくかがキモなんだろう。

日本を千年うらむという。では、韓国は千年後ろ向きのままでいるということではないか、そういう気がする。
まあ、勝手にやってくれ。そんな気分になってしまうのだ。



posted by まっちゃん at 09:57| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月31日

家計を見て欲しいよなぁ



他の人でもこのブログに書き込めるようにすることもできるのだけれど、それで最近なんか手違いをしてしましたらしく、違う系統の知り合いの記事が紛れ込んだみたいで、失礼しました。
といっても、このブログもサボり気味なのであまりそのことに気がつく人はいなかったのかな?
まぁ、気になって読んでくださる方がいたら感謝なんですが。

ところで家計の負担。
貧乏人ほど直撃してくるような。
アベノミクスが悪いとは言いませんし、日本の経済がまず上向きにならなきゃどうにもならないなとも思っているわけです。ものすごく経済が良くなれというわけではなく、そこそこに上向いてくれないと、何も始められない。でもまあ、具体的に何もできなかった口だけだった前政権よりは、具体的な数字が出てきてる。
でも、貧乏人の財布にその影響が出るのはまだ先のこと。実際に、今年に入ってからも会社の給料が実質下がっているところもあるわけです。
金のあるところはまだ溜め込もうとしているわけで。
私のように自営をやっていますと、お客が増えない、単価が落ちるでまだまだ苦しいまんまなのですね。
それこそお役所仕事や、統計の数字だけで判断するのではなく、実際に家庭の数字を見てほしいものです。景気が良くなるだろうと、今まで貯蓄に回していたものを消費に回すなんて事もあるでしょうが、まだ給料や、外注さんに儲かってもらおうなんて、実感はないですもんね。

posted by まっちゃん at 09:36| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月03日

カレーうどんもラーメンも



記事から抜粋する。
『いわく「カレーはインド由来」「うどんは中国由来」「そこに和風だしで味付けしてある画期的な料理が、カレーうどん」
 そして、謳いあげる。
 「カレーうどんは、極東のアンカーとして、異文化を許容し、さらに融合して、新しい価値を創り上げる日本人の独創性の象徴である」』
ふむふむ。これは正しいと思う。異文化を取り入れ、全く新しいものを日本の風土の中で創りあげる。それはもともとのものからは離れた独自の文化になる。
漢字もそうだ。
カッコにいいし便利だねと輸入された漢字は、もともとの意味を失い、万葉仮名で日本独自の話し言葉に充てられている。それからオリジナルのカタカナ、ひらがなが生まれていく。万葉仮名の時点で、とうの中国からはちんぷんかんぷんなものとなっているのだ。
それは、もうオリジナルだ。
由来はあっても、発祥ではない。

ラーメンもそうだ。
蕎麦は明治期で料理としては停滞したが、中華そばは独自の進化を遂げる。中華そば自体が元の料理とは違っていると思うのだが。ラーメン、さらにそれはもともとの中国の料理とは似ても似つかぬジャパンオリジナルだ。その手間、美味しさへのこだわりはきちんとした『料理』ではないか? その発想は国とかカテゴリーをも凌駕してないか。
だから世界中で注目され、世界でラーメンが食べられているのだ。

カレーうどん。うどんも元の料理とは似ても似つかぬものだし、インドで日常的に食べられているカレーも、イギリスに渡り、日本に入ってきた時点で元とは違っている。それがさらに、和の味がたされ、新たなジャパンオリジナルを創りだしているのだ。
和風だしの効いたカレーはどこでも失敗がない。こしのない伊勢うどんでのカレーうどんも、腰のある四国のうどんでも、スーパーで売っているよくわからないうどんでも、カレーうどんは美味しいのだ。

私達はこういう文化を大切にしたい。そう思う。

posted by まっちゃん at 15:30| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月02日

嫌い嫌いを言い続ければ、あいても嫌いになってくれるというものです。



どうしたものかねと思う。
韓国の人すべてが反日ではないのだろうけれど、聞こえてくるのは反日ばかり。

サッカーの旗だって、FIFAはいままで禁止していない。もし、大きな問題があるなら今までに禁止されているだろうし、禁止されていないのだから、個人が振ったって罪にはならない。ところが、韓国は以前、政治メッセージをサッカーに持ち込んだとして罰金まで取られている。そして、今回も韓国サッカー協会が制止しているにもかかわらず巨大な横断幕がはられてしまった。
まあ、内容は日本人には読めず、「歴史を忘却した民族に未来はない」という内容が、韓国に向けてのメッセージなのかと思えたのだけれど。

しかし、なんでもいちゃもんばかりつけてくるという印象だね。

この前の韓国人が日本の山で遭難して3人がなくなった事故だってそうだ。
もし、日本人の地元のガイドをつけていたら、こんな事故にはならなかっただろう。でも、危険を考えたガイドが登山を中止したら「韓国人だから中止した。けしからん」という風になるのだろうな。
で、早速今回の事故に対しても、あれは日本が悪いという声があるそうな。
どうしろっていうの?
まあ、韓国からは感謝の声もあるようだが。

そして、あれだけ嫌いと言いながら、観光に来てくれないと困ると言い出す。ええと、嫌いと言い続けてたのは誰なんでしょうか。

きらいきらいと言い続けて、なにをするにも難癖ばかりつけてくれば、だれでも嫌になってくるのが道理てもんです。

この時代、国という一つの形だけでは、物事は進みません。
政府が率先して「反日」をやっていたら、何かあって、お互いに協力しなければならないときに、一番反対するのは自国民じゃないかしら。
反日だの何だのは、一応抑えておいて、上辺だけでもうまくやる必用があるんじゃないのかね。でなければ、最終的に困るのは国民じゃないですかね。

昔は韓国も中国も好きな国の一つで、ハングルや、中国語も習ってみようかと思った時期もあったのだが、現在はそんな気も失せた。
ひとりひとりは話せばわかるのだろうし、良い人なんだろうが、国レベルで嫌われていたら怖くて仕方がない。好きになれと言われても二の足を踏むのが当然というものだろう。

まあしばらくは傍観。
posted by まっちゃん at 16:43| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月24日

ホワイトハウスにも幽霊のうわさはあるけど、そんなこと追求する意味があるのか



あきれたね。
官邸に幽霊が出ようがそなんな事なんの問題があるってんだ。
ホワイトハウスにも幽霊が出ると言われているが、それでも大統領は入っているとでも言いたいのか。
入ろうが入るまいが、それが幽霊のせいであろうが無かろうが、政治が止まんなきゃいいんじゃないの? そんなこと追求する奴の程度が知れると思う。
くだらない事で、時間を使うんじゃない。
これがくだらないことじゃないというならば、その人の感覚は狂っているじゃないのか?
posted by まっちゃん at 17:22| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月09日

亀田と中島

中島知子さんが騒動後初めてテレビに出て色々語った。でも、視聴率は悪かったそうな。
みんなあやしげなものって好きじゃないの? ゴシップって好きじゃないの? そういうこえが聞こえてきそうえな気もする。
でも、みんなは見たくなかったのだな。そんな人を。
何故だろうと考える。
実はみんなが見たかったのは、まともで痛快な人なんじゃないか。
あたりまえの一般人の側に立ち、私たちが思いもよらなかった切り口で物事を切ってくれる。ああなるほどと思う。そこには異常な人はいらない。マツコデラックスさんだって、異常ではないのだ。見てくれは違うけれど。
コンビの松島さんの方は、元からどこがずれている感じが面白い。そして、いつでも幸せそうに笑っている。
たぶん中島知子さんに求められていたのは、そんな天然な人たちの笑いを、引き締めてくれる役割なんだと思う。
妖しげでゴシップな人は、他でいいという事なんだろう。

おそらく、マンションに籠城したりとか、家賃滞納したりとか、他の芸能人が心配したということで話題性を考えたのだろうけれど、ゴシップで出すにしては遅すぎたし、完治でだすにしては早すぎたという事なんだろう。
仕掛け人の事は色々うわさされてはいるが、もうそういう手法が時代にそぐわなくなってきたのかもしれない。

亀田はどうだ。呼び捨てごめん。
家の親父が、部屋で試合を見ていた。曰く、亀田が負けるところを見たかったのだそうな。

私もボクシングは大好きだったのだが、亀田が出てきた頃からぱったりとみなくなった。
何故か。
殴り合いと言うのは、実は不良でのすることであり、殴りあうのはチンピラのすることというイメージがあるような気がする。だが、それがボクシングと言うスポーツになると、科学的な技術の問題となり、あるいはただ、殴りあうだけでではない高い精神世界を感じるようになる。
そこには、殴りあうだけではない何かがある。
だから映画ロッキーはヒットしたのだ。
死力を尽くして戦う姿と、愛する者への叫びと言う事だ。そこに人々は純粋なものを感じていたのではなかっただろうか。

しかし、それを不良のものに戻してしまったのが亀田一族だったように思える。
いままでモハメド・アリやマイク・タイソンなど、大きなことを言うファイターはいた。しかし、試合ではそういった言動はどこかに消え去る力を持っていたのではなかったか。
だが、亀田一族は力があろうが無かろうが、その言動でボクシングも不良少年の殴り合いに変えてしまったような気がする。
本人はどうなのかは知らない。まじめにただひたすら強い人と戦いたい純粋な人なのかもしれない。
だとしたら、こちらも仕掛け人が悪かったのかもしれない。
まァ、周りの人が真面目に取り組んでいる感じがあればよかったのかもしれないが、親父さんもあれだしなぁ。ただのチンピラ一家じゃんと思われてしまったのかもしれない。

ともあれ、私たちは意外とちゃんとした人を見たかったのだ。そういう気がしたこの数日間だった。

posted by まっちゃん at 14:37| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月27日

張りつめた糸はいつか切れる。



張りつめた糸はいつか切れる。
切れたらどうなるのかはわからないけど。ただ、これだけ緊張させると、後が大変だなと。
戦争を始めるしか道がないのかもしれないし、やめてテンションが下がると、再び上げるのが難しいし、人々は内政に関心が向くのではないか。
まあ、演習が終わると「わが軍の威圧に負けて、米韓は撤退。これはわが軍の勝利である」なんてガス抜きを計るのかな。

いずれにしてもいばらの道を歩んでいるよな。

posted by まっちゃん at 09:54| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月24日

パソコンの未来についてふと考える

ふと、コンピュータの未来ってどうなんだろうと思った。
と言うのも、知り合いがまったくネットの世界とは無縁だったからだ。でも、パソコンは使う。必要最低限のことといっても、画像処理や動画編集、音楽の編集などをこなしているのでそういう意味ではスキルは高いのだ。でも、ネットはしない。
最近はネットにつながっていないときちんと動かないソフトもあるので、どうにかしてネットにはつないでいるが、基本的にツイッターやフェイスブックもしない。するのは自分が何かを加工したいときに使うのだ。まるっきり、パソコンはただの道具なのだ。
そういう人もいる。いいなと思ってしまった。

ネットに夢中になると、自分がパソコンを使っているのか、パソコンが自分を創っているのか分からなくなることがある。
毎日ブロクを更新しなければならないと、強迫観念にとらわれたり、四六時中ツイッターに自分のことを書き込んだり、フェイスブックでないとコミュニケーションが取れないと感じたり。
そして、携帯電話にネットがつながり、スマートフォンとなり、さまざまなタブレットになった。今までのノートパソコンもあれば、ディスクトップパソコンも筆記道具として、情報端末として活躍している。でも、ふと思う。パソコンはパソコンであり続けるのだろうかと。
でも、本当はそんなことはないのかもしれない。
パソコンが、電脳メガネになったとしてもそれは形態が変化しただけで、たいした進化とは言えないと思う。後得、マンガのように空中にスクリーンが出現したところで、パソコンがパソコンであり続ける以上それは形態が変化しただけという気がする。

ふと、未来を考える。
たとえば、電子メールと電話が融合したらどうだろうか。
留守電のように言葉が文字となって残る。あるいは、文字が言葉となって聞こえる。電話がかかってくる。時間指定のメールが聞こえる。あるいは普通の電話。
相手が出れない留守番電話の時に話した言葉が、メールとなって現れる。
これは面白いかも知れない。
そこには電話とメールと言う境目が無くなっていくかもしれない。

ソフトだった同じことだ。
たとえばエクセルやワードを完全に使いこなせる人はどれくらいいるのだろうか。フォトショップやイラストレーターは?
たとえば「こういうことをしたい」ということを文字なり文章なりに入れると、それに適合したソフトを探し出してくれる機能というのはどうだ。基本となるオープンソースのソフトがあり、それを必要な人が自分なりの用途に改造していく。それに必要な知識は要らない。言葉でこれをこうしたいと言うだけだ。すると、どこかにあるコンピューターが、それに見合ったソフトを探すか、改造を施す。
そして、それをオープンにするか、シエアにするか、純粋にプライベートにするか指定する。100人中たった一人がそのソフトにぴったり合えば、100円なり200円なりでソフトが提供される。開発した人にもお金が入れば、誰だって幸せになれるかもしれない。
ややこしいソフトなんていらない。機能なんてそんなにきっといらないのだ。自分が望むようなことができればいい。そんなヒントを与えて、一緒にソフトを作れるような仕組みが生まれればいいな。

また、パソコンはテレビやビデオと同じになる。
意識しないで生活の中に根ざしたもの。テレビを買えばインターネットにつながっている世界。
そこには、ダウンロードやバージョンなんてものはない。OSなんてものにはこだわらない。いつだって、身の丈にあったものが用意されていく世界。
そんな世界がこないかなと思う。誰もが意識せずに、パソコンをただの道具として使う時代。
OSやスペックでパソコンが売れる時代はじきに来なくなるような気がする。ある程度行くとオーバースペックとなる気がするのだ。それから後は、一般的であればここまでのスペック、それからこういう仕事ならこういうスペックとかただ別れて行くような気がする。そして、昔のワープロや、ビデオと同じになるような気がする。あれだって出たときには大変なものだったのだから。全てにパソコンと電化製品の境目が無くなっていく。
きっと、たぶん、パソコンは今、テレビで言えばモノクロテレビがカラーテレビになりつつあるくらいなんだろうと言う気がする。高価で、カラーがまぶしかった時代。

そして、電脳のようなチップが頭に組み込まれていくようになれば、さらに何らかの新しい世界が開けるのだろうか? 想像すらできないかもしれない。

ともあれ、誰かが言った言葉を思い出す。
「パソコン? あんなものはただのそろばんでさ。電気がなきゃただの箱ですよ」
そう考えると私たちは箱に囲まれてすごしている。
テレビと言う箱、ビデオと言う箱、冷蔵庫と言う箱。電子レンジ、オーブントースター、オーディオステレオ、それからいろいろ。
みんな電気がなきゃただの箱だし、テレビやビデオはなくても生活できる。もちろん、パソコンだってそうなんだけれど。

ふと、そんなことを考えたのだ。
posted by まっちゃん at 21:52| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月13日

3.11の中国と韓国

3.11の式典に中国と韓国は出席しませんでした。

中国は台湾を1つの国家とみなしたために出席しなかったと言います。
でも、台湾からはたくさんの義援金が寄せられているのです。この前の野球でも、日本側からありがとうのメッセージが送られたことはニュースにもなりました。
日本としては、台湾にもお礼を言いたいし、中国にも言いたい。
それを、自分たちの主張と違うからというのは、ただの内政干渉。自分たちの政治に対して文句を言われると怒るくせに、と思ってしまうのは私だけではないでしょう。
何もかもを自国の政治に結び付けてしまうのは、なんだか違う気がします。
文化や援助にたいして、善意の人の心に対しては、そのんなことは後回しにしてほしいものだと思います。

韓国はえいごのFAXが送られてきたため、捨てちゃったと弁解してます。
英語の文書も読めなかったら、どう国際社会の中で生きていくのでしょうか。
そして、日本政府が確認してこなかったのが悪いとまで言いだしてます。他の国はそれもやってきているのに。
つまるところ、日本からのFAXなんか見ないよということで捨てられちゃったんだろうと、一般人は思ってしまうわけです。本当は違う理由かもしれないですが。

なんか悲しいですよね。

韓国でも、中国でも大災害が起きたら、日本はそれでも行くと思うんです。災害救助に。人道的な事は、後回しになるんじゃないですか?

まァ、あの国はしょうがないかと、日本の普通の人々が思い始めている。その事は、きっと問題でもないのでしょうね・・・
posted by まっちゃん at 16:17| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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