2013年03月06日

もうというべきなのか、まだというべきなのか



2年後の復興。
写真を見ると、少しずつ人の暮らしが戻ってきていることが分かる。
もう、ここまで日常が戻ってきているのだと思うべきなのか、まだ、これだけしか戻ってきてないのかと思うべきなのか。たぶん両方なんだろう。
時はすべてを風化させては行くが、元に戻していくのは人の力なんだ。

posted by まっちゃん at 11:03| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然災害関連(中国以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月04日

最近の日本は危ない?

どこかのニュースで、最近の日本は第2次世界大戦前に似ているとか書いてあった。危ないそうだ。ふうん。
なにかまた、やらかそうとしているのかね。マスコミは。

一般市民からすれば、不思議なのだ。
中国も韓国も、ちょっと前まではいい関係を保ち、昔の事はあるにしても仲良くやっていき、お互いにいい未来を作って行けるのではないかという感覚だった。個人的に中国も韓国も好きだったよ。仲良くなって、過去のいざこざもそのうち、悲しい過去をお互いに忘れていけるような関係になっていくのかと思っていた。
でも、なんかいきなり「日本が嫌い」と言いだし、ちょっと行き過ぎじゃないかと思うくらいになって来た。
「嫌い・嫌い」と言われるものをなんで好きにならなきゃいけない? いい国で仲良くできるんじゃないかと一般人はずっと思ってきたのに、「嫌い」と言う事を盾にして、普通の事も出来なくなっている。
円安が悪い? 韓国は、今までヨーロッパとFATもしているでしょ? 円安のせいだというのは本当に正しいの? 

盗まれた仏像にしてもそうだ。
今の窃盗なのではないか? 歴史的にどうのこうのと言う問題ではない。犯罪を犯罪として認めることすらできなくなっているという事なのか?
また、何でもかんでも韓国が起源なのだそうな。
例えば、日本がまだ大陸と地続きだった頃に人が移り住み、日本人が生まれていったんだろう。そういう意味では、韓国人の血統と日本人の血統は同じようなところにあるのかもしれない。でも、それに何の意味があるのだろう。日本人は島の中で変化していっただけの事だ。そして、日本人という違いが生まれただけ。それに何の意味があるのか。
そして、漢字すら韓国が起源だと言いだす。
だからなんだ。
日本に入って来た漢字は、日本で使われる上で独特の変化を遂げる。それが万葉仮名となり、平仮名や片仮名が生まれる。それだけのことだ。ルーツが大切なのではなく、どう変化し、それが何をもたらしていくのかが大事だろう。
同じような神話や、風習や、ことわざや、習慣が世界のあちこちにある。
それらに類似性はあったとして、それはそれと言う話ではないか。それはタンに似ているというだけ。どこも偉くもない。それは単にそういう事実が興味深いだけなのだ。
何かが大陸や、朝鮮半島からもたらされ、独自に変化していく。それが日本の文化を構成していったことに何の変わりはない。そこに日本があるにすぎない。よその国がどうのこうのいう筋合いのものではない。それはお互いに認め合う「文化」というものだ。それを認め合わなければ、話すらできないではないか。
例えば、現代中国に置いて、日本語を起源とした言葉は存在する。経済やいろんな面で。それはそれでいいではないか。中国になかった言葉を、便利だという事で使われる。それはただ単にそれが便利だったからだ。
日本にも、外来語が定着した言葉はいくらでもある。でも、それは、おかしい事ではない。それが浸透し独自の言葉になっていくからだ。

江戸時代から明治へ。列強の植民地支配を逃れるための痛み。
この時点でもいろいろと変化がある。
柔道や剣道がスポーツとなり、変化する。
人の意識が変化する。
それはそういうものだ。

話を元に戻そう。
日本が変わったと言われても、そういう実感はない。
「嫌い」と言われ続け、武力で威嚇されれば誰だって、そんなくにとは付き合いたくないと思うだろう。
多くの人は眉をひそめる。それだけのことだ。
でも、基本的にはなにもしないだろう。
騒ぐのは一部の人だ。それで第2次世界大戦前と同じだとはお笑い草だ。
どこが似ているというのだろう。
戦争したいなんで誰も思ってやしない。戦争をしないで、お互いに仲良くやりましょうと言ってくれば、両手を挙げて歓迎するとおもうけどな。
日本人が、中国人や韓国人と同じ感覚なら、とっくに武力衝突は起きてるよ。でも、普通の日本人はそんな風には思っていない。だから黙っているのだと思うのだが・・・



「死んで神様と言われるよりも、生きて馬鹿だと言われましょうよね。」加川良 教訓T





posted by まっちゃん at 17:15| 福井 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月25日

リコール問題にふと思う

TDKの加湿器による火災で、リコール問題に再び注目が集まっている。

これでふと思い出す事がある。
以前、ブロクでも書いたのだが、我が家の除湿機が燃えたことがある。と言っても、すぐ横で仕事をしていたこともあり、すぐにコンセントを抜いて大事には至らなかった。電源スイッチは切れなかったし。
しかし、もし、その下で洗濯物を乾かしていたら? 誰も部屋にいなかったら? そう思うとぞっとする。

それは、ある有名メーカーの製品だった。そして、ほんの数秒前までは正常に動いていたのである。正常に動く製品ならば、古くても使いたくなるというのが普通の感覚だろう。それが調子が悪くなり、スイッチも切れず突然煙を上げる。過熱保護回路が付いているのだが、役に立っていないらしく、表面が溶けだした。
他にも使っている人がいれば注意喚起が必要なのではないか。そう考えて、私はメーカーにこういうことがありましたよとメールを出した。メーカーもそういう事例を集めている可能性もあるのではないか。
炎を上げるのならば、洗濯ものの下には置かないように注意することもできるだろうし、ある程度古くなった製品は人がいるところでお使い下さいとか、いろんなアナウンスが出来るのではないか。その一助になればと考えたのである。たしか。クレームではない。

ところが帰って来たメールを読んで驚いた。
全くの正常であり、あんたの使い方が悪いのだろうという感じだったのだ。
これにスは、さすがにカチンときた。それで「正常ならば、煙が上がり、外側が溶けるのか」と抗議した。すると、あわててメーカーがやって来て、現物を見た。この型でこんな事例は初めてだという。やれやれである。

これで思ったのはメーカー側の意識の低さである。
メールなんか読んじゃいない。どんなことが書いてあるのか理解もせずに、「正常」だと返してしまう態度が異常なのだ。
まともに返していたらとんでもなく面倒なのかもしれない。でも、なかにはきちんと対処すべき内容があるかもしれない。そして、たいていはメーカーになんか知らせてもくれないはずだ。

クレーム処理を出したのは別なことでもう一つある。あるメーカーのDVD-Rを購入したのだが、家の古いレコーダーでは認識しなかった。それまでは大丈夫だったのに。
それでその旨を電話すると、送ってくださいといわれ、録画に失敗した盤面から全てを送り返した。すると電話がかかり、色々説明をしたのち丁寧なレポートが送られてきた。理由は釈然としないものだが(だって、同じように使っていたものが、ある日突然使えなくなるなんて?)いろいろ検査をした経緯なども書かれ、どういうメーカーの盤面がいいのか(エラーがなくなる可能性について)アドバイスをしてくれた。まァ、機械が古いというのも理由なんだろうが。その対応に感心した。
そういうところもあるのである。

メーカーも安全な製品を送り出すのが当たり前だし、リコールがあるなら、その情報も入手しやすくなければならないだろう。これは行政とメーカーとの問題かもしれない。そして、なにより消費者は自分の身を守らなくては誰も守ってはくれない。
家の火を出した除湿機もリコールにはなっていないはずだ。でも、古ければそういう可能性はある。
そういう認識を持つべきなんだろう。
メーカー・行政・消費者それぞれに、すべきことを考えなければならない。行政、メーカーをただ責めたって仕方ない部分はある。せめて自分の身は自分で守らなくてはとも思うのだ。









posted by まっちゃん at 10:00| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月09日

そんな簡単じゃないんだろうな。中国からの撤退リスク

ネットで見ていると、「はやく中国から撤退した方がいい」なんて書いている人がいる。もうそれほど中国にこだわる必要はないだろう? それより殺人的な公害、高騰する人件費、理不尽な反日、利己主義的な行動と、そこに居座ることの方がリスクが高いのではという論調も見受けられる。
私も、できるならとっとと撤退して、近くの安全な国に工場を作り、巨大な人口を抱える中国に売りさばいてはと思ってはいる。

それでも、簡単には撤退できない理由があるらしい。
撤退することを考えずに工場なんかを作っているもんだから、契約上、工員を勝手にくびにできない、大量にくびになんかすると、失業率が増えるので政府からの許しが出ない。勿論、会社をつぶす事も出来ない。中国に工場と言う事は中国との共同事業みたいなもんだから、そう簡単には行かないらしい。日本で会社が倒産するとか工場を移転するのとはわけが違うらしい。
そういうリスクを分かっていずに中国に進出してきたわけだ。
だから、ネットで「馬鹿だなぁ」と言われようが、簡単には行かないらしい。勝手に工場を閉鎖したら、巨額の賠償金とか請求されそうだし。撤退するなら会社をつぶすしかないのも知れないなぁ。そんな気がする。

もともとも中国にいろんな会社が進出してきた頃から、「大丈夫か?」と疑問を持ち続けてきた。
私の故郷は昔から、中国留学生を受け入れ、中国との交流も深い。それこそ発展途上にある中国の人々にいろんな技術を教え、感謝されてきた。しかし、それによって結果的にはその産業は中国に押されて青息吐息となっている。勿論、中国にはまねのではない技術や他業種との提携によってあらたな活路を見出してはいるが、小さな町工場はそんな新技術や他の産業に進出することもできず、苦しい日々を送っている。
「だから、中国に技術を教えることは反対だったんだ。恩をあだで返すとはこのことだ」とある老人が吐き捨てるように言った言葉を覚えている。
そんな産業は他にもある。すでにチャイナリスクを抱えてきた産業はあるのだ。
だから、中国進出ブームの時に大丈夫かと疑いたくなったものだ。
「工場を建てても、中国側が権利の55%を持っている。そういう契約をしなければ工場を建てられないんだ。だから、やめると言ったら、全て中国のものになってしまう」おおむねこんなこを言っていた人がいる。中国にみんなが行き始めていたころだ。
「昔は、日本の中古機械でもありがたく買ってくれたもんだが、今やそんな話をすると馬鹿にされる。最新の機械をとっとと導入するからね」
そういう産業があったことを、進出していった人たちは知っていただろうか。
そんな疑問がある。すでにチャイナリスクに悩んでいた産業から、何も学ばなかったのか?
まァ、利潤を求めてばかりという資本主義の宿命みたいなものがあるんだろうが。

そして、今、中国との関係は悪化の一途だ。
戦争になるのだとすれば、捕虜になるリスクが加えられることになる。日系企業の存続は危ういだろう。全て中国のものとなってしまうかもしれない。でも、簡単に離れることが出来ないのだろうな。
あるいははまた、中国とって日本の企業こそが戦争を踏みとどまらせる楔になっているのかもしれない。それは自分たちの破滅を意味するかもしれないからだ。経済という国境のないものに対して。そういうこともあるのではないかという気がしている。
「なんで中国へ行くんだー」
「とっとと撤退しろよ」
ネットの上では何とでも書ける。でも、現実はどうなんだろう? そんなに簡単に物事は進んでいかないのだと思うのだ。


posted by まっちゃん at 15:37| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月01日

AKB48の鉄のおきてにふと考える。



丸坊主にしての反省は、賛否いろいろあるようですね。非の意見があるという事はとてもいいことだと思います。

「髪は女の命」とか「丸坊主にしての反省」というのはすでに古い気がするが。しかし、どうなんだろう。

私自身は、AKB48についてはなんとも思っていない。実は、私は4人以上で同じ音程のものを一斉に歌うというスタイルが好きではない。コーラスとか、合唱とかいうのは好きだけれどね。かんたんに歌の下手さがごまかせるし。まぁ、大昔の民間の民謡なんかはそういう形だったのかもしれないし、形としてはありなんだろうが、私はハモを聴かせてくれるようなグループ、歌唱力ある人が好きなだけなので。

でも、今回の件はおやおやと思ってしまった。

恋愛が罪になってしまうというのどうなんだろう。恋の歌を歌っているくせにね。

恋愛禁止と言うのは、セールスのポイントであり、それによって「誰のものでもない」という安心感がフアンにもたらせられるという効果があるのだろう。もちろん、団体としての規律という面があるのだと思う。それは、大衆向けの約束であり、宣伝の一つだろう。
しかし、それが「罪」となり「罰」が与えられるのはおかしい事ではないだろうか。
個人の自由をそこまで規制していいものだろうか。そこまで規制するのであれば、それはむしろ社会的に容認してはいけない物ではないのか。ましては、それに対して罪や罰と言う感覚を持つというのは行き過ぎではないか。

この件に関して、秋元氏は「恋愛禁止」にしたことはないというようなことを言っている。
それは、あくまで個人の自由の事だし、気持ちは抑えることが出来ない。ただ、それが他のメンバーに対して迷惑をかけてしまうことについては、ダメなのだろうと思う。そういう事ではないのかな。よく知らないのだけれど。

だれだって恋をしていいのだし、むしろ、きちんとした恋愛ならいいのではと思う。
きちんとしたというところがみそなのだが。
不倫や売春みたいなことはもちろんだめだし、派手な男遊びと思われるようなことはだめだろう。
でも、それ以外できちんと自分で責任とれるならいいのではなかろうか。

そして、週刊誌もいい加減にすべきだと思う。
誰と誰がつきあっているらしいよ。うふふ。なんておばさんのゴシップ好き程度ならいいと思うのだ。
後は、恋愛に関してはスルーすべきなんじゃないの。
結婚とか離婚とかになれば、また別だろうけれど。あと、社会的に問題があるのなら。
でも、恋愛を事件として取り扱うような事は、ダメなんじゃないのか?有名税だとしても、個人の自由に関することは侵害してはいけないのではないか。ましてや罪や罰に仕立ててはいけない。

そんで当の本人たちはどうすればいいのかと言うと、どうなんでしょ。
恋愛禁止をセールスポイントとしているのであれば、卒業するしかないんゃないの? そして個人の芸能人として活躍していけばいい。大人としての芸能人になりましたということ。それで事務所を干されたりするのは、問題だと思うけど。自分たちが納得した約束を破るという事は、自分にも責任があるわけだしね。
でも、それは、丸刈りにして許して―ということでいいのか? という気がしてならないわけで。

やれやれ。





posted by まっちゃん at 10:21| 福井 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月30日

中国は、大丈夫なのか?



今朝、いつもはしばらく開けておく窓をさっさと閉めました。もしかしたらもう日本にもやってきているのでしょうね。大気汚染。
ずいぶん昔に、東京でバイクに乗っていて、上着がものすごく汚れるのが気になりました。排気ガスのせいですが、その頃だってもう日本の大気汚染はずいぶん改善していて問題になっているようなことはなかったです。それでも上着は汚れていて、唖然としてた事を覚えています。
その比じゃないようですね。
日本でマスクしている人を、外国人は不思議なことだと思うそうですが、中国では生死にかかわることなのかもしれません。マスクは、もう必需品。それでも完璧ではないはず。
急激に経済大国になった事で、いろんな不具合がでいるのですね。日本でも四日市ぜんそくや、光化学スモッグなどありましたが、その教訓などは中国は考えなかったのでしょうね。
もう目先の事ばかりにとらわれる時代じゃないのだろうと思います。一つの国だけの問題じゃない。
大気汚染は中国から、朝鮮半島を経て、日本に流れてきます。
それは世界中にばらまかれていく。
中国だけではなく、インドや、アジア諸国もみんな、これからの事を考えなくてはならないのでしょう。
経済だけがグローバルなのではなく環境こそ国境などない事なんじゃないかなとおもいます。
中国でお金だけが幸せじゃないと田舎に帰り農業を始めた人が話題になっていましたが、帰った田舎も汚染されていて、他の人の土地を借りるしかなかったようです。なんか、複雑な気分ですね。

posted by まっちゃん at 10:46| 福井 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月22日

日本のマスコミは進化すべきだと思う。



このニュースについて、ひどいという声が上がっている。

「自分は遺書を書いてそういう事がないようにと言っているが、なかなか思い通りにいは行かないだろう。政府の金を使って生き延びるというのは心苦しいので、さっさと死ねるようにしてほしいもんだ」というようなことを言っているそうです。
それが一部だけが切り取られて大変な失言のように扱われる。
失言の類で行ったら石原親子なんてもっと凄そうなんだけどね。

この切り口から、患者が望む尊厳死とはなにかまで広げていく事が出来ないのかという気がします。

さっさと死んでしまえというのと、患者の死ぬ権利みたいなものも考えなくてはならないねと言うのでは、全くとらえ方が変わってきます。

週刊文春を始めとして、まともそうに見せかけて、首をかしげてしまうような報道や、タイトルの付け方には問題があると思っています。
何でもかんでもゴシップ記事にしてしまうような報道姿勢は、正しい情報伝達には妨げになっていくのではないでしょうか。


ちなみに、ネバーまとめにこんなまとめがありました。
http://matome.naver.jp/odai/2135876488879941901
「マスコミの抜き出し方に批判殺到--麻生氏の「さっさと死ねるように」発言の真意とは」

posted by まっちゃん at 16:42| 福井 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月16日

大人の都合で子供が翻弄されていいのか?



大人の都合で子供が翻弄されていいのか?

今回の問題で一番悪いのは顧問だろう。「みせしめ」に暴力をふるったのだから。二番目に悪いのは、そういう前時代的なシステムを改善していけなかった大人たちだろう。そして、三番目に悪いのが、亡くなった生徒さんだろう。こんな事で、死んでほしくない。こんな大人達のために、わざわざ死ぬなんて。あえて、死ぬことも悪いことだといいたい。だが、その声を無駄にしてはいけないのだとも思う。

そして、私が嫌いなのは連帯責任という言葉だ。
どうしてまじめに取り組んできた生徒が、大人の都合でとばっちりを受けねばならないのだろう。連帯責任というシステムは、とてもおかしいのではないかと思っている。
権力を持った大人が暴力をふるって人を支配しているのに、それがおかしいと声を上げることのできる子どもがいるだろうか。子どもたちは、ただ大人に従うしかないだろう。
権力で子どもを支配することの危険さを大人たちが理解し、監視するべきだったはず。それを同じクラブにいたから、真剣に取り組んできた者たちも罪をかぶれと言われるのだ。それは、大人たちの責任だったはず。そして、自分たちが罪をかぶるかどうかは、子どもたちが決めなくてはならないはずなのだ。

子どもの自主性という観点からは、連帯責任ではなく、自分たちがどうするかを考えて行動すべきだろう。それを大人たちがバックアップするべきではないかと思う。
死んだ者たちの分まで頑張りたちと思うものもいれば、やはり自分は出来ないと思うものがいるだろう。そこまで考えなくては、自分たちの自主性がないのではないだろうか。
同じようなことが高校野球でもある。なにか不祥事が起きれば、出場を辞退する。これもおかしなことだ。真面目に過ごしてきたものは、身に覚えのない事で「罪」を背負ってしまう。
罪を犯さない抑止力として考えているからだろう。自分が罪を犯せば他人に迷惑がかかるという。でも、これって本当に正しいのだろうか。
出場するかどうかは自分たちが納得して決めるべきではないのか。教育という面からすれば、自分たちがそこまで考えて行動することに意味があるのではないだろうか。罪を犯した者は罰せられるべきだが、巻き込まれた者まで罰する形になるというのはどうも解せないのである。

大人たちが悪いのだから子ども達まで罪をかぶれというのは行き過ぎのような気がする。
子ども達の言い分をきちんと聞くべきではないだろうか。

そして、教師の負担を軽減するために、教育と部活の顧問とは分けるべきなんじゃないかと思う。
学校の先生は勉強を指導する。そして、クラブの顧問は別にきちんと資格を持ち、年に何回かはいろんな問題にいての研修を受けるべきなんじゃないかと思う。
そういう論議もしてなかったのに、いきなり入試をやめるとか、廃部にするとか、大人の都合で子どもをふりまわしていいものかと思うのだ。


posted by まっちゃん at 09:13| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件に思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原発もそうだが、問題が起こってからでは遅すぎる。



何年もかかる対策を、事がおきてから始めてどうするのだ。遅すぎる。
原発もそうだ。問題が起きてしまった時点では゜すでに遅すぎるのではないか。日本といういいお手本があったのに、目先のお金ばかりにとらわれ過ぎていたのでは。
問題のすり替えはどこの国も同じ。今、日本との問題にすり替えようとしていることに、中国の人は問題意識を持つべきなのではないか。
国が、自分達をじわじわと殺しているかもしれないのだ。

それは、どこの国も同じだけれど。


posted by まっちゃん at 08:46| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月15日

中国の「本当」の所はどうなっているのだろう。

中国への危機感をいつも煽ろうとしているMSNのニュースだけでなく、今朝はエキサイトなどほかのニュースサイトでも中国が戦争の準備をせよと軍に命令を出し、日本との戦争をした場合にどうなるかを想定した報道番組が放送されているとの事。
でも、本当のところはどうなんでしょうね。
最近の中国のニュースにはあまり明るいものはないようです。北京などの大気汚染は死者が出ているほどだし、地方では工場の賃金支払いを求めてデモが盛んに行われているようです。さらには、記録的な寒波により白菜やトマトなどが高騰していとの事。これは、生活に直接かかわることだし、格差問題と絡めると農層の不満は一層高まっているのではないかという感じがします。
だからこそ、「戦争」という文字をちらつかせることで、辛抱しなければならないとう意識を国民に植え付けようとしているのでしょうか。
それって、なんか太平洋戦争時の日本と同じじゃないかと。
また、安倍政権が誕生したことで、日本の経済が好調になってくるではないかということも危機感を覚えるのでしょうね。
世界は、中国を見限ってしまうのではないかと。
列強に食い物にされていたときの記憶と言うものもあるのかもしれません。
別に、中国で生産しなくてもいいよ。でも、たくさん人がいるんだから、物は買ってよね。そんな感じでしょうか。
そんな危機感から「戦争」というカードを切って国民の目をそらそうと。でも、この社会でどこまでそれが通用するのでしょうか。
中国から事を起こすしかないのでしょうが、それをすればいかに日本に責任があると言い張っても国際的には非難されるのではないでしょうか。
100歩譲って、日本を中国が占領したとしても、日本というものを制御できるとは思えません。日本は焼け野原になる前に、降参と言うでしょう。日本は日本をまた焼け野原にすることはないと思うのです。で、そのあと怪物みたいな経済と人々をどう制御できるのでしょう。それこそ、日本の経済が中国を飲み込んでしまわないでしょうか。
そして本当のところはどうなのでしょう。戦争と言っているのは党の一部だけで、中国の人々はそれを信じているのでしようか。それよりも、地域格差や西部への不満が大きいのかもしれません。

東京に雪が降ったことの方が、中国の軍事情報より扱いが大きいというこの国で、ふと、そんなことを考えてしまいました。
posted by まっちゃん at 10:20| 福井 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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